※少し妊娠のことも出てくる記事です。













今年1月末、不育症治療をしていましたが


4人目の赤ちゃんは運命を持って短い命で生まれた子で


流産しました。




その時から今に至るまで、


自分の中で様々な気持ちがあったのと同じように、


旦那さんにもきっと様々な気持ちがあったことと思います黒人




「俺、もしもっかちゃんに離婚したいって言われても


絶対離婚してあげないもんね」




流産をする度に私はいつも、


~ねえ、私赤ちゃん産めやんで離婚していいよ~


と、言ってきたので、


4人目の赤ちゃんを流産した日、


私が辛い気持ちにならないように色々話しかけてくれたり、


私から何も言ってないのに車の中でそう言ってくれました。




流産翌日のことも鮮明に覚えています。


いつもより早く帰ってきてくれて、


「今日は俺がご飯作るから、休んでいてね!」


と、はりきってご飯を作ってくれた。


食べる時、 「俺お腹ぺこぺこだから残してもいいからね」


って言うてくれた。


そして、この日、


「俺ね、もっかちゃんの100倍笑うんだ。


だからもっかちゃんは、


俺の100分の1だけ笑って。」


と旦那さん。


家に帰ってくるまで、どうやって私のことを元気にしようか、


いっぱい考えながら帰ってきたんやね。


旦那さんといる時間は、


ほんの少しでも笑顔になることができました。




あの頃、毎朝、泣きながら見送っていた。


すると夜は仕事で遅い旦那さん、夕方になると、


何喋ろうかいっぱい考えて電話をくれたりした。




あまりに仕事が忙しくて連絡がないと、


一人でいることに耐えかねて、早く帰ってきて欲しくて、


外の駐車場で待っていたり、パジャマのまま


コートだけ羽織って駅まで探しに行ったりもしました。




仕事に戻り、職場の食事会にも参加してみるものの、


4月になっても、楽しい場所にいる自分は何故か虚しくなって、


迎えに来て欲しいとごねたこともあります。


でも迎えに来てくれた。


夜中に泣きそうでどうしても一人になりたくて、


一人でドライブに出掛けたこともあります。



とっても迷惑なもっかちゃんでした。


その時ちゃんと迷惑かけて申し訳ないのは


自分でも分かっていたけど、


寂しさの方が大きかったんやね。


でも、どのもっかの思いにもとても優しく応えてくれた。




転院した次の日は私達夫婦の3年目の結婚記念日。


付き合ってからは7年目になります。


まだ3年間やけど、中身の詰まった夫婦としての3年間。


身近にあるレストランで、ちょこっとお祝いしました。


そのお店では、お祝いにheart*のガトーショコラのドルチェと、


記念写真を取ってくれました。


(会計10%OFFもしてくれた♪)




久しぶりに撮った写真。


ちゃんと笑っていました。




この写真が【2人+1人】での初めての写真になりました。




その写真を見て思いました。


私、今回妊娠してからあんまり笑ってないかも って


思ったのと、


私、あの時からこんなに笑えるようになったんやな って


思った。




いつもどんな時も傍で笑っていてくれていたのは誰やろう。


どんな時も力になってくれて、支えてくれているのは誰やろう。




ずっと心に残っていたあの時のあの言葉。




私は、この日、


これからは今までの100倍笑って、


旦那さんと赤ちゃんを元気に出来るようなもっかになろう 


決めました。


天使ちゃん達も見ていてね☆




私、どんな辛い時にもいつでも幸せが傍にありました。


もう、離婚したいなんて寂しいこと言ったらあかんね。


結婚記念日に一番伝えたい言葉。


私と夫婦でいてくれてありがとうseisei





  一番辛かった時に初めて

   仲間に出会えました

  いつも感謝しています
      コレ

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