ホテルへ戻り部屋に入る
もう既に7日の深夜1時を回っていた。
旅の最後は914号室の角部屋だ。
うーん
9とか4とかあまり好きな数字では無いけど、まっいっか。
素泊まりで5780円だったし。
ロビーやラウンジからの見晴らしは最高だし。
朝チェックアウトする時にもう一度、都内を一望してから帰ろうかな。
7日の夜20時30分には羽田空港を経ち、地元へ戻る。
その前に現在、沖縄スクーリングへ参加中の息子が16時40分に沖縄から羽田空港へ帰って来る。
無事に息子と合流せねば。
残された自由時間は13時30位までか?
14時に東京駅からバスに乗れば余裕かな?
最後に行く店はどうしても行きたかったサラグレース自由が丘店に絞ろう。
自由が丘は他にも見たい雑貨屋さんが沢山集まっている。
上手くいけば他にも見れるし、カフェでランチも食べたいなぁ。
行き方などを調べて2時半頃に寝落ちした。
突如
機械的な女性の緊急速報的な大きな声で飛び起きる
⁉︎
ふぁっ⁉︎⁉︎
何の音⁉︎
何が起きたんだ??
足元にあるTVからはアナウンサーが淡々とニュースを読む映像が流れている。
部屋の電気も点いている。
飛び起きた瞬間、その機械的な声の言葉尻とニュースの声が被っていたのは確かに聞いた。
ドアとTVの中間にあたる空間でその何かが話している音?声?は間違いなく聞いたのだ。
その得体の知れない声?音?はすぐに消え、部屋の中にはニュースだけが流れていた。
TVの時刻を見ると3時32分頃を表示していた。
一体何が起きたの?
さっきの音声みたいなのは何だったんだ…
起きついでにトイレへ行き、手を洗いながらふっと脳裏をよぎった。
母さんが亡くなった時刻かな…
おそらく10月7日は母の49日にあたる日なのだ。
多分だけど…
8月20日に亡くなっていたとすれば…
8月19日の14時少し過ぎにドラッグストアで買い物をしたのが最後の足取りとなっている。
その後、いつ母の身に何が起きたのかまるで分からないのだ。
いつ亡くなって何が原因で死んだのか…全く分からないままなのだ。
私はなるべく、この1人旅の最中に母について深く考えないようにしていた。
通り過ぎる母と背格好の似た女性を見かけると急に思い出される事も度々あった。
救急車やパトカーと偶然すれ違う度に母の家に駆け付けた時見たあの日の光景が呼び起こされる。
でも今この旅行中に発作など起こす訳にはいかない。
本来の目的は息子のサポートをする為に羽田空港まで同行し、万が一現地で体調不良等が起きた場合はすぐに沖縄へ迎えに行かなければならないのだ。
いつでも沖縄に経つ為に私は都内・近郊で1人旅をしながら時間をつぶしていた。
いつ学校からお迎えの連絡が来るか内心ドキドキしながらの4泊5日の旅は終わりを迎えようとしている。
私はまた寝て朝7時過ぎに起き、支度をしてホテルを後にした。
ホテルを出るとかなりの強風と雨が降っている
東京メトロへ向かう途中に見た雷門。
牛カツ定食とか江戸前天丼とか食べたかったな〜
昨夜、ホテルの手前にあった牛カツ定食屋さんに寄ってからホテルへ行けば良かったな…後悔の嵐