私は合田作品が大好きです。
この作品ももちろん、好きな作品のひとつで、昨年当日のスタッフもやらせていただきました。

今回ももちろん面白かったです。でも、何かが足りていない感じがしたのです。

今回、観る人「観客」を女性、観られる人「マスコット」を男性、演出する人「スカウトマン」を男性が演じていました。努力クラブの初演では観る人「観客」を男性、観られる人「マスコット」を女性、演出する人「スカウトマン」を男性がやっていました。
アフタートークでも廣瀬さんは言っていましたが、役者、演出家、観客という関係性を先鋭化したかったことと、合田君が性風俗の精通している一方、廣瀬さんはそこは精通していないので、あえて変えたと言っていました。

ただ、観る人「観客」を女性にしてしまうことで、最初ののぞきに興味を持つという伏線が薄くなってしまっておりました。のぞきを楽しんでいる男性2人に女性が混じりますかね??
大体、女性は普通はのぞき穴には興味もたないのではないでしょうか。

それと、あえてスカウトマンとマスコットを男性同士にしていたことで、スカウトマンとマスコットの関係性が希薄になった気がしました。
マスコットを男性にするなら、やはりスカウトを女性にする方が良かったと思います。
だって、男女の遺恨の方がドロっとしていて深い感じがしますしね。

もう一点。
田中次郎君演じるスカウトマンの焦燥と迷いの蓄積、観客を演じる永榮紘実さんの期待感の蓄積、それとマスコットを演じる田中浩之さんの恨みと怒りの蓄積、そのボルテージがバランスよくつのる対比を描き、そして沸点に達したところで最後のシーンに繋がるのがこの作品の一番の面白さではないかと私は思っております。

私が拝見した回では、田中次郎君と永榮紘実さんの蓄積感に比べて、田中浩之さんの怒りと恨みの質が違うように感じてなりませんでした。

そこが私の一番の違和感の原因です。

田中次郎君の焦りと永榮紘実さんの期待感はジワジワと伝わってくるが、田中浩之さんの怒りは伝わってきませんでした。確かに言葉と態度は怒っているのですが、目が怒っていない、つまりは「軽い」。
私にはそう見えてしまいました。むしろ、台詞や動きは静かな方が怒りと恨みの蓄積は表現できたのではないでしょうか。

廣瀬さんはこの作品の「意味」の部分を強く意識されたのだと思います。
でも、私は、彼の作品の「絶妙なバランス感覚」を高く評価しております。
そこが違和感の根源なのかもしれません。

いずれにしても、私の素人意見ですけどね。

といいつつ、役者諸君みな、大好きな人たちばかりです。
今後に期待です。

旅行者感覚の欠落<ふつう版>