先週の日曜日のこと。遊劇体さんの「戦國茶漬」を観てきました。

遊劇体といえば、旗揚げが84年。つまりは私が大学一回生の時でした。
私がはじめて観た遊劇体の作品はたしか西部講堂で上演された「春の鬼」だったと思います。
原さんが西一風に客演してくださった年なので85年ですね。
あれから、27年。
まだ遊劇体が活動を続けてくれているの言うのは、ものすごいことなのだと思います。

さて、その遊劇体が泉鏡花の作品に取り組んでもう7本目なんだそうです。
私は前回の「多神教」とこの「戦國茶漬」の二つしか観ていないのですが、明治後期から昭和初期の作品とは思えないくらいのユーモアと悲哀に富んだ作品で、飽きずに観ることができました。

いや、というより私の認識が間違っていたのでしょうね。
古い=堅苦しい、難解というような誤った認識をどこかで持っていたのでしょう。
ありがたいことに遊劇体さんはその間違いを気付かせてくれました。

確かに、使われている言葉は原文ママなので、多少は難しいのですが、わからないレベルではなく、すっと入ってきます。
武田信玄に敗れ、零落し、落ちのびる村上吉清の奥方に懸想をする渡守、その渡守を叩きだした上杉謙信の老将柿崎景舎も懸想する。その懸想する柿崎を謙信は討ち果たす。と話はクルクルと展開していくのではあるが、そこには、生と死、自由のない時代背景がありながら、かつ人間のおかしみが描かれていて、どの登場人物も愛すべき姿として描かれていました。

泉鏡花の作品に遊劇体さんのお芝居が綺麗にシンクロしているからこそ、この登場人物の愛すべき「おかしみ」がしっかりと描かれているのだと思います。

さらに、(いつも書いていますが)遊劇体さんの役者さんはほんと巧い!
なんていうか、キャラクターをちゃーんと作っていて、かつ、セリフを展開させていない間のお芝居がとても巧い。だから絶妙な間が生まれるのでしょうね。

パンダさんの「老尼」の至っては役の作り方があんまり面白すぎて出ている間ずーっとクスクスと笑ってしまいました。
村尾さんも元黒手組の中田さんや二口さん、高杉さんこやまさんと出ている皆さんすごい役者さんたちだなあと感心しきりです。

2時間を超える作品でしたが、あっという間に終わりました。
写真は会場の国立文楽劇場です。
楽しいお芝居をみせてくれた遊劇体さんに感謝です。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-国立文楽劇場