市川タロくんの個人ユニット「デ」
市川君がやるんだから、きっときっと芝居っぽくないだろうな・・・と期待した通りのお芝居、いやパフォーマンスでした。
場所は東山三条「カオスの間」。
まさにカオス。
年代も、所在も、まさに混沌とした骨董屋というべきか、そんな謎のスペース。
とにかくよくわからないが味があるがらくた満載のスペース。
そこで、「詩」のようなパフォーマンスがごく普通にずっとそこにあるかのように始まっていました。
そこにある「モノ」にひとつひとつ「ストーリー」を加えてゆく。
「これは、東君が大好きな扇風機でした・・・・」
「これは足立さんが好きなCDでした・・・・」
というように。
ここにあるすべてがパフォーマンスの種になってゆく。
時には一人が部屋に閉じこもり、また這い出して
役者は山分君と崎田さん。
二人の集中力はさすがでした。
私が観たのは土曜日でしたが、翌日曜日はさらに観ているお客の一人が芸術論を論じ始めると言うハプニングがあったそうで。
ぜひ、それも観てみたかったです。
市川君らしく、マレビトの会やチェルフィッチュの影響を色濃く受けている感じでした。
でも、毎回思うのですが、静かでもいいから、何かの「展開」が欲しい。
「展開」しないなら、これは路上のパントマイムでもよいということになってしまう。
(あ、もちろん路上のパントマイムが良くないと言う意味ではありません。)
つまりはせっかくこの「カオスの間」を使っているのなら、二人の役者の間でもっと「展開」があっても良かったのにと思ってしまいました。
まあ、それをしないのが市川君なんですが。
ひとまず、彼が「デ」というユニットを立ち上げたのはとても興味深く、また、彼の作品を観てみたいと思わせる作品でした。
市川君がやるんだから、きっときっと芝居っぽくないだろうな・・・と期待した通りのお芝居、いやパフォーマンスでした。
場所は東山三条「カオスの間」。
まさにカオス。
年代も、所在も、まさに混沌とした骨董屋というべきか、そんな謎のスペース。
とにかくよくわからないが味があるがらくた満載のスペース。
そこで、「詩」のようなパフォーマンスがごく普通にずっとそこにあるかのように始まっていました。
そこにある「モノ」にひとつひとつ「ストーリー」を加えてゆく。
「これは、東君が大好きな扇風機でした・・・・」
「これは足立さんが好きなCDでした・・・・」
というように。
ここにあるすべてがパフォーマンスの種になってゆく。
時には一人が部屋に閉じこもり、また這い出して
役者は山分君と崎田さん。
二人の集中力はさすがでした。
私が観たのは土曜日でしたが、翌日曜日はさらに観ているお客の一人が芸術論を論じ始めると言うハプニングがあったそうで。
ぜひ、それも観てみたかったです。
市川君らしく、マレビトの会やチェルフィッチュの影響を色濃く受けている感じでした。
でも、毎回思うのですが、静かでもいいから、何かの「展開」が欲しい。
「展開」しないなら、これは路上のパントマイムでもよいということになってしまう。
(あ、もちろん路上のパントマイムが良くないと言う意味ではありません。)
つまりはせっかくこの「カオスの間」を使っているのなら、二人の役者の間でもっと「展開」があっても良かったのにと思ってしまいました。
まあ、それをしないのが市川君なんですが。
ひとまず、彼が「デ」というユニットを立ち上げたのはとても興味深く、また、彼の作品を観てみたいと思わせる作品でした。