なんだかんだ言って、私はドラマの力を信じているのだと思います。
さまざまな演劇の新しいスタイルがある中、オーソドックスでしっかりとしたお芝居を飛び道具さんはみせてくれました。
先週の土曜日「飛び道具」の「ロキシにささぐ」を観てきました。

まるで「未来少年コナン」の島を彷彿とさせる舞台。
まさにそれと同義的な舞台というべきでしょうか。

ある国の島。自然の中で伝統を守って生活していた村民。
村には厳然とした差別も残りながら、視線と密着した生活を伝承とともに守っていた。
ただ、貧しかった。
ある日、外国から自然保護団体がやってきてかた観光客が来るようになってくると、ココナッツオイルや鳥かごといった村の生活に密着したものが売れるようになる。
そして、少しずつ村も豊かになってくるのだが、一方で家や土地を担保に借金をするものまで出てくる。
次第に村の産物も伝統的な手法を失ってゆく。
そんな中薬師だった「母」が病気になってゆく。

生活が豊かになれば、差別の固定観念も薄れ、「娘」は上位層の青年と結婚する。
生活が豊かになれば、道も良くなり、村にも電気が来るようになる。
病院が出来、高度な医療を受けられるが、一方で伝統的な野草を使った薬を作る技は失われる。
そして、借金をして事業に失敗すれば、家土地を奪われてしまう。

ほぼ、原始共産制の生活をしていた村に、資本主義の考え方が入ってくる。
身分差別はなくなるが、貧富の差は生まれる。
便利な生活は得られるが、伝統は失われてゆく。

でも、これはどちらを選ぶかという話ではないような気がします。
時の流れの中で何を大切にするかという話なのではないでしょうか。

劇中、誇り高き鳥という傷ついた三日月鳥を保護する。それを鳥かごにいれ、ロキシと名付けてかわいがっていたが、村に電気が通るある日、森へ話そうとすると鳥はすっかり飛べなくなっていた。

鳥は村人なのだろうか・・・

病にかかった薬師「妻」。
周りの勧めをかたくなに断っていたが、ある日病院へ行こうとする。
それを「夫」は、いかないで欲しい」という。
「元気になって帰ってくるかもしれないが、それは本当のおまえではない」という。

果たして、私が同じ立場だったらどういうだろうか・・
本当の妻でなくなっていたとしても元気でいてくれた方がよいのか・・・それとも。

でも人間は自然を超えることはできない。

いろいろなことを考えさせられるお芝居でした。

お芝居は実にオーソドクッスで、じっくりみせてくれました。
役者の皆さんの抑えた演技も実にすばらしかったです。

mokichi4516こと齋藤秀雄の京都単身赴任生活-ロキシにささぐフライヤー