アトリエ劇研のサポートスタッフとして、土日の受付等制作サポートとして参加してきました。
実は元々観ようと思っていましたので、願ったり叶ったり!

さて、この人魚、再演とのこと。
初演を観た人の話を聞くと、かなり変わっていると言います。
そう、作風すら少し違っているが、かなり面白くなったという意見が多いです。

かく言う私は初「人魚」でした。


舞台はとある漁村。おそらくは貧しい漁村。
長らく漁師が襲われ、村を悩ましてきた人魚を捕えることに成功した村の長老たちは、ある兄妹に人魚の世話をさせる。
人魚に歌を歌わせて売り物にしたい長老たちとある男、ちなみにこの男は人魚の世話をしている妹と恋仲だ。
人魚を捕えていること自体災いを呼ぶと予告する占い師、早く人魚を追い出したい妹、海に帰りたい人魚。
ある日、人魚は食事のために海に入っている間、禁じられているにも関わらず海に入ってきた子供を食べ、大騒動になる。
なぜ子供を殺したのかと迫る兄妹に「殺したのではない、食べたのだ」という人魚。
人魚にとっては目の前にある餌を食べたに過ぎないのだった。

そんな中、人魚をサーカス団に売り飛ばす話を男が決めてくる。そして、人魚に執拗に興味がある男は、子供の葬儀の夜に人魚に迫り、食い殺されてしまう。

そして、絶望に打ちひしがれた妹は人魚に毒を盛る。
体が弱り、命が尽きようとしている人魚は兄を幻惑し、兄を伴い海へ逃れる。そして妹も海へ消える。
一人残った占い師は吹きすさぶ風の中に人魚の歌声をかすかに聞くのだった。


人魚はすなわち「自然」なのではないでしょうか。
自然と人間、自然によって生かされているはずの人間が、文明と欲を持ったとき、自然と相反します。
でも、やはりその人間も自然であり、自然を超えて生きることはできないのではないでしょうか。

東日本大震災のあった今年、なぜかそんなことを考えながらこの芝居を観ておりました。

いろいろな考えが浮かび、消える芝居。
とても「深い」実に「深い」お芝居です。
考えさせられることが多いお芝居でした。

こうやって、あらすじを書くと、実に凄惨な話なのですが、人魚を演じた川面さんが実にコミカルにかつふてぶてしく演じてくれているので、不必要な重さがありませんでした。
もちろん、河合さん、筒井さん、高杉さん皆素晴らしい役者さんです。
肩の力が抜けた実にすっと入ってくる演技。
そして、私が大好きは大熊ねこさん。
セリフひとつひとつがしっかりと伝わってくるお芝居。

前回の「王様」も素晴らしかったですが、この「人魚」はさらに深さがあって実にすばらしいお芝居でした。

最後に一番印象に残ったシーンとセリフを一つずつ。
男が人魚に迫った次のシーン。
兄が淡々と人魚に説教しながら、血だらけのモップで床を拭いてゆく。
実に淡々と・・・
このなんとも言えずコミカルに淡々とした感じが、男が死んだという事象の二面性を表現してくれます。

そして、セリフはこれ。
最初の方のシーン。
妹に好きな男がいると知った人魚は妹に一言。
「そんなに男に近づいて食いたくなんないのか?」

これって隠語かな?と思っていたのだが、ほんとに食ってしまうことの伏線だったとは驚きでした。

さて、この「人魚」今週末は福岡で公演があります。
そして8月3日4日は広島で公演。
もしよろしければお出かけください。

写真は公演後「フライヤーください」とのオーダーがたくさんあった人魚のフライヤー。
接写したら何だかわからないなぁ~

mokichi4516こと齋藤秀雄の京都単身赴任生活-人魚フライヤー