今日のブログはかなり長いです。
お読みいただける方、申し訳ありません。ご覚悟お願いいたします。
実は、私の父親は教員をしながら童話を書いていました。
作品は何作かありましたが、2作だけ書籍として発表されました。
そのうちのひとつが1976年ポプラ社から発売された「まぬけなリュウの話」という作品です。
この作品を発刊から13年後に、見事に人形劇に仕立ててくださった人たちがいます。
それが山本由也さんのかわせみ座です。
わざわざ、東京から福井県鯖江市まで出かけていらして、父に公演許可を求めにいらっしゃいました。
父の返事は二つ返事でOKでした。
当時すでに絶版となっていたこの童話に着目されていた人がこの世の中にいたことだけで、父は飛び上がらんばかりに喜びました。
それからさらに22年後、ようやく、父は自らの孫に自分の作品をみせることができました。実に35年の月日を超えた日、それが今日の公演でした。
物語は、昔々のある国の山深い村のお話。
その村には一匹のリュウが住んでいました。
そのリュウはとてもおとなしい、ちょっとまぬけなリュウでした。
いつもは杉林の下に生えた笹や草を食べていました。
村人は杉林の手入れをしなくて済むので重宝していましたが、リュウの吐く息がとても臭く、馬鹿にしていました。
それでも、リュウは村人がとても好きでした。
祭りがあってお囃子が鳴ったりすると、勢いよく踊り出して、思い切り木に頭をぶつけて気絶して、また、村人たちに馬鹿にされたりしていました。
そんなリュウにもようやくひとりだけ友達ができました。
つばきちゃんという女の子です。
二人はとても仲良くなりましたが、大人たちがなかなか理解してはくれません。
そんなある年、梅雨が終わっても雨が降り続き、そのまま夏が過ぎ、作物は一切とれませんでした。
村人は困り果て、町のお侍に陳情に行きましたが、なかなか取り上げてくれません。そこで村人は村に悪いリュウがいて、暴れて作物を食べつくしてしまったんだと嘘をついてしまいます。
するとお侍は「じゃあそのリュウを退治して爪をもってきたら褒美に食べ物をあげよう」と言います。
村人たちは、今度はリュウをだまして、それでも「勘忍なあ」と言いながら後ろ足全部の爪を切り落とし、その結果たくさんの食べ物をもらいます。
リュウは爪を切られてしまい、後ろ足で歩くことができなくなり、すっかりやつれて、村の寺の裏で枯れ葉にくるまって過ごしていました。
足は腐り、ますます悪臭を放ちましたので、村人は近寄りもしませんでした。
それでも、つばきちゃんだけはリュウを嫌いません。二人は友達でした。
翌年、今度は干ばつが村を襲います。
村人は幾日も幾日も雨乞いをしますが、なかなか雨が降りません。
そんな村人の様子をリュウは悲しそうに見つめていました。
まったく雨が降らず、限界がきた村人たちは村を出ることにしました。
皆で村を出て、谷に差し掛かった時、なんと今まで枯れていたはずの谷にきれいな水が流れています。
村人たちは、一心不乱に水を飲みました。
「神様のおかげだー」
そして、村を出てゆくことをやめました。
村人たちが落ち着いてくると、水が変なにおいを放っていることに気が付きます。
「この匂いはあいつだ!」
村人たちは怒りながら谷をさかのぼります。
国境近くの山の上。
きれいな沼がありました。
リュウはそこにいました。
しかも沼の底から、大きな石を残った前足の爪で掘り起こしいます。
爪はねじれてしまい、ボロボロです。
その沼をリュウは村人の為に掘ったのでした。
さて、村人たちは沼にあがってきました。
沼に浸かっているリュウを見て
「なんちゅうことをしとるんじゃー」
「わしらのきれいな沼が台無しだー」
といって、リュウを谷に追い落としました。
リュウは大きな目で何度も何度も村人を振り返りながら、悲しく悲しく啼き続けました。
その声は風の音に混ざりあい、かなしく谷をこだましました。
ラストシーン。
どこかの山奥のきれいな滝。
そこにリュウがいました。
爪はすべてそろっていて、元気な様子です。
そして、その背中につばきちゃんが乗っています。
リュウは天に昇ってゆきました。
こんなお話です。
実は「つばきちゃん」のくだりは原作にはありません。
2001年の再演時に、このままではあまりに救いが無さ過ぎるからと山本由也さんが書きくわえたものです。
自然災害ゆえにとった人間の行動が、自分たちを守るためとはいえ、弱者を痛めつけてしまうという話です。
なんと、今の時代にマッチしている話でしょうか。
この話は、父が自身が赴任していた九頭竜ダムの底に沈んだ小学校での実体験を基に書かれています。
35年の時を超え、この作品を演じ続けてくれるかわせみ座さんに心から感謝。
開場は藤沢市民会館小ホール。
約300席はあるホールは満席でした。
たくさんの子供たちがアンケートを書いてくれていました。
「で、リュウはどうなったの!ね、お母さん」とお母さんを困らせている子どももいました。
一人でも多くの子供たちの心にこの作品のメッセージが少しでも届きますように。
東日本の各地で苦しんでいる人たちに届きますように・・
不肖、ほんとに不肖であるこの私が若干数作書き残した戯曲は、一様に社会性が強い作品でした。
今、初めて明かしますがそのバックボーンはすべてこの「まぬけなリュウの話」にあります。
そして、実は今日、25歳の時の果たせていない自分の夢を思い出しました。
この話を芝居にすることでした。
なにもできないまますでに21年の月日が経ってしまいました。
写真はかわせみ座さんのパンフから引用させてもらいました。
お読みいただける方、申し訳ありません。ご覚悟お願いいたします。
実は、私の父親は教員をしながら童話を書いていました。
作品は何作かありましたが、2作だけ書籍として発表されました。
そのうちのひとつが1976年ポプラ社から発売された「まぬけなリュウの話」という作品です。
この作品を発刊から13年後に、見事に人形劇に仕立ててくださった人たちがいます。
それが山本由也さんのかわせみ座です。
わざわざ、東京から福井県鯖江市まで出かけていらして、父に公演許可を求めにいらっしゃいました。
父の返事は二つ返事でOKでした。
当時すでに絶版となっていたこの童話に着目されていた人がこの世の中にいたことだけで、父は飛び上がらんばかりに喜びました。
それからさらに22年後、ようやく、父は自らの孫に自分の作品をみせることができました。実に35年の月日を超えた日、それが今日の公演でした。
物語は、昔々のある国の山深い村のお話。
その村には一匹のリュウが住んでいました。
そのリュウはとてもおとなしい、ちょっとまぬけなリュウでした。
いつもは杉林の下に生えた笹や草を食べていました。
村人は杉林の手入れをしなくて済むので重宝していましたが、リュウの吐く息がとても臭く、馬鹿にしていました。
それでも、リュウは村人がとても好きでした。
祭りがあってお囃子が鳴ったりすると、勢いよく踊り出して、思い切り木に頭をぶつけて気絶して、また、村人たちに馬鹿にされたりしていました。
そんなリュウにもようやくひとりだけ友達ができました。
つばきちゃんという女の子です。
二人はとても仲良くなりましたが、大人たちがなかなか理解してはくれません。
そんなある年、梅雨が終わっても雨が降り続き、そのまま夏が過ぎ、作物は一切とれませんでした。
村人は困り果て、町のお侍に陳情に行きましたが、なかなか取り上げてくれません。そこで村人は村に悪いリュウがいて、暴れて作物を食べつくしてしまったんだと嘘をついてしまいます。
するとお侍は「じゃあそのリュウを退治して爪をもってきたら褒美に食べ物をあげよう」と言います。
村人たちは、今度はリュウをだまして、それでも「勘忍なあ」と言いながら後ろ足全部の爪を切り落とし、その結果たくさんの食べ物をもらいます。
リュウは爪を切られてしまい、後ろ足で歩くことができなくなり、すっかりやつれて、村の寺の裏で枯れ葉にくるまって過ごしていました。
足は腐り、ますます悪臭を放ちましたので、村人は近寄りもしませんでした。
それでも、つばきちゃんだけはリュウを嫌いません。二人は友達でした。
翌年、今度は干ばつが村を襲います。
村人は幾日も幾日も雨乞いをしますが、なかなか雨が降りません。
そんな村人の様子をリュウは悲しそうに見つめていました。
まったく雨が降らず、限界がきた村人たちは村を出ることにしました。
皆で村を出て、谷に差し掛かった時、なんと今まで枯れていたはずの谷にきれいな水が流れています。
村人たちは、一心不乱に水を飲みました。
「神様のおかげだー」
そして、村を出てゆくことをやめました。
村人たちが落ち着いてくると、水が変なにおいを放っていることに気が付きます。
「この匂いはあいつだ!」
村人たちは怒りながら谷をさかのぼります。
国境近くの山の上。
きれいな沼がありました。
リュウはそこにいました。
しかも沼の底から、大きな石を残った前足の爪で掘り起こしいます。
爪はねじれてしまい、ボロボロです。
その沼をリュウは村人の為に掘ったのでした。
さて、村人たちは沼にあがってきました。
沼に浸かっているリュウを見て
「なんちゅうことをしとるんじゃー」
「わしらのきれいな沼が台無しだー」
といって、リュウを谷に追い落としました。
リュウは大きな目で何度も何度も村人を振り返りながら、悲しく悲しく啼き続けました。
その声は風の音に混ざりあい、かなしく谷をこだましました。
ラストシーン。
どこかの山奥のきれいな滝。
そこにリュウがいました。
爪はすべてそろっていて、元気な様子です。
そして、その背中につばきちゃんが乗っています。
リュウは天に昇ってゆきました。
こんなお話です。
実は「つばきちゃん」のくだりは原作にはありません。
2001年の再演時に、このままではあまりに救いが無さ過ぎるからと山本由也さんが書きくわえたものです。
自然災害ゆえにとった人間の行動が、自分たちを守るためとはいえ、弱者を痛めつけてしまうという話です。
なんと、今の時代にマッチしている話でしょうか。
この話は、父が自身が赴任していた九頭竜ダムの底に沈んだ小学校での実体験を基に書かれています。
35年の時を超え、この作品を演じ続けてくれるかわせみ座さんに心から感謝。
開場は藤沢市民会館小ホール。
約300席はあるホールは満席でした。
たくさんの子供たちがアンケートを書いてくれていました。
「で、リュウはどうなったの!ね、お母さん」とお母さんを困らせている子どももいました。
一人でも多くの子供たちの心にこの作品のメッセージが少しでも届きますように。
東日本の各地で苦しんでいる人たちに届きますように・・
不肖、ほんとに不肖であるこの私が若干数作書き残した戯曲は、一様に社会性が強い作品でした。
今、初めて明かしますがそのバックボーンはすべてこの「まぬけなリュウの話」にあります。
そして、実は今日、25歳の時の果たせていない自分の夢を思い出しました。
この話を芝居にすることでした。
なにもできないまますでに21年の月日が経ってしまいました。
写真はかわせみ座さんのパンフから引用させてもらいました。