今、話題の映画「ソーシャルネットワーク」。
94年、いわばWeb黎明期から仕事に携わっている人間としてはみるべしとのことで、言ってみみました。
感想は正直、「なんじゃこりゃ!?」というものです。
確かに、Facebookを宣伝するための映画だということは理解していて観たのだが、エンターティメントとしても今一つな上に主人公に共感を全く持てない。
話は、天才的プログラマーながら、人間関係に不器用な、後のFacebook CEOマーク・ザッカーバーグがFacebookを大きくしてゆく様を、2つの訴訟を抱えている争議のシーンを挟みながら追いかけてゆく。
Facebookもやっていないし、アメリカの大学生生活を全く理解していないと非常に解りにくい話であることは事実だが(私が理解しているというわけではない)、それを差し引いても、楽しめない映画です。
最後はそんなマークでも、「世界で最年少の億万長者だ」という彼の成功を称える話で終るのだが、全く共感できないし、百歩譲ってもFacebookが成功をおさめたと評価されるのはまだこれからです。
アメリカの底辺にしっかりと残っている人種差別思想も気に入らなければ、日本とは比べ物にならないレベルの学歴差別も気に入らない。
だからFacebookは学歴入力が細かく設定されているのだ。
私は、ソーシャルネットワークの存在は必要だと思うし、その存在でコミュニケーション革命が起きていることも評価しています。
アラブ各国で起きている革命にソーシャルネットワークが一役かっていることも評価しています。
だが、この映画は評価できない。全くできない。
だいたいマーク・ザッカーバーグがFaceboookを作らなくても、別の優秀なエンジニアが別のSNSを作ったはず。
「だから、何だって言うんだ!!」っていうのが感想なのです。
私の理解が著しく足りないかと思い、パンフまで買ったが感想は変わらなかった。
しかも、パンフにはmixiの笠原社長以下登場し、マークを評価する討論を繰り広げている。
少し読んで胸糞が悪くなった。
ソーシャルネットワークの発展は社会や世界を変えることは間違いない。小さな個人でも世界にリリースできる力を持ったことは事実です。
でも、それは社会の潮流の力であって、個人の力ではない。
そして、そこにはしっかりしたリアルなコミュニケーションが存在しなければ、メディア自体は生きてこないはずだ。
だから、コミュニケーションに難がある人間を助けるツールではないはずだ。
ひとつ、学んだのは「小さな成功のために、コンセプトを曲げない」というところくらいだ。
別にそれは今更言われなくても解っているが。
実に評価できない映画だ!
94年、いわばWeb黎明期から仕事に携わっている人間としてはみるべしとのことで、言ってみみました。
感想は正直、「なんじゃこりゃ!?」というものです。
確かに、Facebookを宣伝するための映画だということは理解していて観たのだが、エンターティメントとしても今一つな上に主人公に共感を全く持てない。
話は、天才的プログラマーながら、人間関係に不器用な、後のFacebook CEOマーク・ザッカーバーグがFacebookを大きくしてゆく様を、2つの訴訟を抱えている争議のシーンを挟みながら追いかけてゆく。
Facebookもやっていないし、アメリカの大学生生活を全く理解していないと非常に解りにくい話であることは事実だが(私が理解しているというわけではない)、それを差し引いても、楽しめない映画です。
最後はそんなマークでも、「世界で最年少の億万長者だ」という彼の成功を称える話で終るのだが、全く共感できないし、百歩譲ってもFacebookが成功をおさめたと評価されるのはまだこれからです。
アメリカの底辺にしっかりと残っている人種差別思想も気に入らなければ、日本とは比べ物にならないレベルの学歴差別も気に入らない。
だからFacebookは学歴入力が細かく設定されているのだ。
私は、ソーシャルネットワークの存在は必要だと思うし、その存在でコミュニケーション革命が起きていることも評価しています。
アラブ各国で起きている革命にソーシャルネットワークが一役かっていることも評価しています。
だが、この映画は評価できない。全くできない。
だいたいマーク・ザッカーバーグがFaceboookを作らなくても、別の優秀なエンジニアが別のSNSを作ったはず。
「だから、何だって言うんだ!!」っていうのが感想なのです。
私の理解が著しく足りないかと思い、パンフまで買ったが感想は変わらなかった。
しかも、パンフにはmixiの笠原社長以下登場し、マークを評価する討論を繰り広げている。
少し読んで胸糞が悪くなった。
ソーシャルネットワークの発展は社会や世界を変えることは間違いない。小さな個人でも世界にリリースできる力を持ったことは事実です。
でも、それは社会の潮流の力であって、個人の力ではない。
そして、そこにはしっかりしたリアルなコミュニケーションが存在しなければ、メディア自体は生きてこないはずだ。
だから、コミュニケーションに難がある人間を助けるツールではないはずだ。
ひとつ、学んだのは「小さな成功のために、コンセプトを曲げない」というところくらいだ。
別にそれは今更言われなくても解っているが。
実に評価できない映画だ!