おそらく、日本中でこのことに興味があるのは、私と稲本さん(越あゆみ)しかいないと思いますが、私が死んでしまったら、記録がなくなってしまうので、ここで残しておこうと思います。
実は、何度かここで書いておりますし、稲本さんも自身のWebサイトで書いておりますが、初期の劇団西一風は街頭公演をたくさん行っておりました。
街頭と言っても、ほんとに街頭ではなく、大学内の広場を使っての野外公演で、しかも、ちゃんと学生課に届け出て場所も仕切って行っておりました。
そんな公演の記録がたまたま、自宅で資料を整理していた時に出てきましたので、これを機会に整理してみます。
劇団西一風街頭公演記録
1.題 名:華燭の宴
作・演 出:越あゆみ
上演年月日:1985年4月上旬
場 所:第一体育館前
出 演:越あゆみ(稲本)、メドゥーサポン子(宇野)、オリンポス哲
(高橋)
※確か入学式に1回だけ行われた公演。西一風の存在を示すことが
目的の公演。
詳しくは稲本氏のWebサイトに記述があります。
http://www.geocities.jp/yinamoto2003/sub2.htm
2.題 名:瓦礫のゆうとぴあ
作 :大路イサム(オリジナル作品)
演 出:越あゆみ
上演年月日:1985年4月下旬
場 所:第一体育館前
出 演:越あゆみ、メドゥーサポン子(宇野)、オリンポス哲(高橋)、
銀四郎(落合さんのことのはず)
※本格的に活動を始めた最初の作品。かなり叙情的な雰囲気。
実質この公演で学内にその存在が知れ渡った。
正直、このころはまだ任意団体になっていなかったので、学内施設
を借りることができなかったことも
街頭でパフォーマンスをしていたもうひとつの理由だったと記憶して
います。
ちなみにこの公演は私、客として観ておりました。
3.題 名:ドラック スターの悲劇
作・演 出:加瀬俊介
上演年月日:1985年5月20、21日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:越あゆみ(稲本)、齋藤秀雄、加瀬俊介
スタッフ :メドゥーサ・ポン子他
※元新演研(現月光斜)の加瀬氏が参加、新聞社員(新聞部のこと)
だった私が、稲本氏との出会い後、
たった2週間で出演することに。
なお、この後、何名か団員が入団。そういう意味で価値があった
作品。ちなみに、私はその後新聞社を退部。
4.題 名:天国の酒場-夕張新鉱大災害-
作・演 出:越あゆみ
上演年月日:1985年7月9、10日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:メドゥーサポン子(宇野)、加瀬俊介、目黒靖、若林隆司、
菊池ゆかり、齋藤秀雄、越あゆみ(稲本)、原少年(原昌樹:
劇団遊劇体)
スタッフ :高橋 哲、渡辺琢哉、矢野まさみ他
※6月のライブハウス公演がどうやらうまくいかなかったらしい
稲本氏。(実は齋藤、加瀬というメンバーはこの公演に不参加)
起死回生の作品であるこの作品は夕張炭鉱での事件を題材に、
街頭では異例の20分を超える作品。
街頭でありながらセットを使い、かつ夜の公演をメインにした異例
中の異例作品。
なお、原さんは遊劇体からの客演でしたが、元新演研で稲本氏
とは小学校からの同級生。
私もこの後、いろいろとお世話になりました。
※この後、12月16、17、18日に行った第一回公演「ラ・ヴィー」の準備
のため、街頭公演は封印。
11月の学園祭時にラ・ヴィーの予告編を実施するに留まる。
ここから西一風結成2年目の1986年。
なんと、この一年だけ劇団名が劇団西一風記者倶楽部になっているのですが、なんでそうしたのか覚えて
いません。政治性の強い作品を志向していたせいかもしれません。しかも、犯人は私です。
5.題 名:雨月大作戦
作・演 出:齋藤秀雄
上演年月日:1986年5月6、7日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:久津間幹、目黒靖、齋藤秀雄
スタッフ :野入直美
※元々プロジェクト形式で運営していた西一風。ラ・ヴィー終了後、
4回生が一斉に活動休止。
結果、団員は私1名に。そんな中、なんと久津間君という新入生
が入団。彼のためにも公演を行うべく、街頭公演を復活。
退団していた目黒君を誘い、実施した公演。実はこの新生西一風
の一回目の公演は、私の初作品。
この公演準備中に、学生劇場(2部の劇団)とのプロデュース公演
が決定。3つの芝居の準備を同時に行っていました。
<↓この公演だけ街頭公演ではありませんが、Webサイトの記録にないので記載します>
実はこの公演、2本立てなんです。
※西一風・学生劇場合同公演
題 名:学劇版 アダムとイヴ私の犯罪学
作 :寺山修司
演 出:山本あきら
上演年月日:1986年6月2、3日
場 所:学生会館小ホール
出 演:川瀬裕生子、青木啓子、猪狩協弘、山本あきら、熊谷多津、
杉本久美、堤 琴絵、山下美紀、景山由美子、城後るみ、
こじませいじ、西川勝己
スタッフ :目黒靖(西一風)、久津間幹(西一風)
題 名:~霧の中の24時間営業…~コンビニエンス・ストアー物語
作・演出 :立花宏之
上演年月日:1986年6月3、4日
場 所:学生会館小ホール
出 演:齋藤秀雄(西一風)、立花宏之
スタッフ :城後るみ、二瓶潤子他
※この公演がきっかけとなり、学生劇場との交流のみならず、新演研
との交流が深まり、西一風スタッフが各劇団のスタッフとして参加したり、
ワークショップに参加したりすることが始まりました。
6.題 名:STRANGE KIDS
作 :目黒 靖
演 出:しゃーいっぷう(齋藤&目黒)
上演年月日:1986年6月25、26日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:久津間幹、ふじい(大)希恵(藤居)、オスカル坂口(坂口)
目黒 靖
スタッフ :齋藤秀雄
※目黒君の初作品。この後、劇作家としての才能を開花させることになります。
7.題 名:ばかまるだし
作・演出 :西一風(加瀬&齋藤)
上演年月日:1986年10月8・9日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:久津間幹、齋藤秀雄
※完全なるパフォーマンス作品。当時の人気漫画だった「北斗の拳」のパロディー。
8.題 名:不明
作・演出 :目黒 靖
上演年月日:1986年10月6・7日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:坂口雄一、藤居希恵、菊池ゆかり、目黒靖のはず
スタッフ :不明
※ばかまるだしと同時に公演した目黒君の作品がどうにも記憶も記録も
ありません。これは追って探すとします。
さて、この後、11月に舞台公演を予定していたのですが、それより少し以前から稲本さんをはじめとする4回生諸氏が公演の準備を始めてしまい、これがそのまま第2回公演「メトロが死んだ」になり、目黒君と私たちが準備していた公演は翌年4月の「夜明けの戦人」という形で実現することになります。
そういうこともあり、上記の9月の街頭公演に出演していたメンバーは「メトロが死んだ」には出演しておりませんが、スタッフとして参加しております。
なお、この後、久津間君と加瀬さんは西一風を退団、「アゴラフォビアメッセ」というユニットを結成し、同じ年の12月に公演を行いました。
これは上記の公演時期の問題だけでなく、パフォーマンス性の強い作品をやりたいメンバーと舞台公演をやりたいメンバーで分裂したという色合いが強いです。
そういう意味で、この次の「夜明けの戦人」になるのですが、ここでその後の西一風の方向性がようやく定まったのだと私は考えます。
ただ、さらにそのずっと後、目黒君卒業後、齋藤大君が公演を再開するために奔走したことを考えると、こういった動きは何年かに一回あったのではないかと思いますし、おそらくは今でもあるのでしょう。
それは創造集団の宿命でもあると思います。
写真は「西一風・学生劇場合同公演」の時のもの。
なんでセーラー服着ているのかはすっかり忘れました。
たぶん、学生劇場山本君のセンスだったかと・・・(T_T)
実は、何度かここで書いておりますし、稲本さんも自身のWebサイトで書いておりますが、初期の劇団西一風は街頭公演をたくさん行っておりました。
街頭と言っても、ほんとに街頭ではなく、大学内の広場を使っての野外公演で、しかも、ちゃんと学生課に届け出て場所も仕切って行っておりました。
そんな公演の記録がたまたま、自宅で資料を整理していた時に出てきましたので、これを機会に整理してみます。
劇団西一風街頭公演記録
1.題 名:華燭の宴
作・演 出:越あゆみ
上演年月日:1985年4月上旬
場 所:第一体育館前
出 演:越あゆみ(稲本)、メドゥーサポン子(宇野)、オリンポス哲
(高橋)
※確か入学式に1回だけ行われた公演。西一風の存在を示すことが
目的の公演。
詳しくは稲本氏のWebサイトに記述があります。
http://www.geocities.jp/yinamoto2003/sub2.htm
2.題 名:瓦礫のゆうとぴあ
作 :大路イサム(オリジナル作品)
演 出:越あゆみ
上演年月日:1985年4月下旬
場 所:第一体育館前
出 演:越あゆみ、メドゥーサポン子(宇野)、オリンポス哲(高橋)、
銀四郎(落合さんのことのはず)
※本格的に活動を始めた最初の作品。かなり叙情的な雰囲気。
実質この公演で学内にその存在が知れ渡った。
正直、このころはまだ任意団体になっていなかったので、学内施設
を借りることができなかったことも
街頭でパフォーマンスをしていたもうひとつの理由だったと記憶して
います。
ちなみにこの公演は私、客として観ておりました。
3.題 名:ドラック スターの悲劇
作・演 出:加瀬俊介
上演年月日:1985年5月20、21日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:越あゆみ(稲本)、齋藤秀雄、加瀬俊介
スタッフ :メドゥーサ・ポン子他
※元新演研(現月光斜)の加瀬氏が参加、新聞社員(新聞部のこと)
だった私が、稲本氏との出会い後、
たった2週間で出演することに。
なお、この後、何名か団員が入団。そういう意味で価値があった
作品。ちなみに、私はその後新聞社を退部。
4.題 名:天国の酒場-夕張新鉱大災害-
作・演 出:越あゆみ
上演年月日:1985年7月9、10日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:メドゥーサポン子(宇野)、加瀬俊介、目黒靖、若林隆司、
菊池ゆかり、齋藤秀雄、越あゆみ(稲本)、原少年(原昌樹:
劇団遊劇体)
スタッフ :高橋 哲、渡辺琢哉、矢野まさみ他
※6月のライブハウス公演がどうやらうまくいかなかったらしい
稲本氏。(実は齋藤、加瀬というメンバーはこの公演に不参加)
起死回生の作品であるこの作品は夕張炭鉱での事件を題材に、
街頭では異例の20分を超える作品。
街頭でありながらセットを使い、かつ夜の公演をメインにした異例
中の異例作品。
なお、原さんは遊劇体からの客演でしたが、元新演研で稲本氏
とは小学校からの同級生。
私もこの後、いろいろとお世話になりました。
※この後、12月16、17、18日に行った第一回公演「ラ・ヴィー」の準備
のため、街頭公演は封印。
11月の学園祭時にラ・ヴィーの予告編を実施するに留まる。
ここから西一風結成2年目の1986年。
なんと、この一年だけ劇団名が劇団西一風記者倶楽部になっているのですが、なんでそうしたのか覚えて
いません。政治性の強い作品を志向していたせいかもしれません。しかも、犯人は私です。
5.題 名:雨月大作戦
作・演 出:齋藤秀雄
上演年月日:1986年5月6、7日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:久津間幹、目黒靖、齋藤秀雄
スタッフ :野入直美
※元々プロジェクト形式で運営していた西一風。ラ・ヴィー終了後、
4回生が一斉に活動休止。
結果、団員は私1名に。そんな中、なんと久津間君という新入生
が入団。彼のためにも公演を行うべく、街頭公演を復活。
退団していた目黒君を誘い、実施した公演。実はこの新生西一風
の一回目の公演は、私の初作品。
この公演準備中に、学生劇場(2部の劇団)とのプロデュース公演
が決定。3つの芝居の準備を同時に行っていました。
<↓この公演だけ街頭公演ではありませんが、Webサイトの記録にないので記載します>
実はこの公演、2本立てなんです。
※西一風・学生劇場合同公演
題 名:学劇版 アダムとイヴ私の犯罪学
作 :寺山修司
演 出:山本あきら
上演年月日:1986年6月2、3日
場 所:学生会館小ホール
出 演:川瀬裕生子、青木啓子、猪狩協弘、山本あきら、熊谷多津、
杉本久美、堤 琴絵、山下美紀、景山由美子、城後るみ、
こじませいじ、西川勝己
スタッフ :目黒靖(西一風)、久津間幹(西一風)
題 名:~霧の中の24時間営業…~コンビニエンス・ストアー物語
作・演出 :立花宏之
上演年月日:1986年6月3、4日
場 所:学生会館小ホール
出 演:齋藤秀雄(西一風)、立花宏之
スタッフ :城後るみ、二瓶潤子他
※この公演がきっかけとなり、学生劇場との交流のみならず、新演研
との交流が深まり、西一風スタッフが各劇団のスタッフとして参加したり、
ワークショップに参加したりすることが始まりました。
6.題 名:STRANGE KIDS
作 :目黒 靖
演 出:しゃーいっぷう(齋藤&目黒)
上演年月日:1986年6月25、26日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:久津間幹、ふじい(大)希恵(藤居)、オスカル坂口(坂口)
目黒 靖
スタッフ :齋藤秀雄
※目黒君の初作品。この後、劇作家としての才能を開花させることになります。
7.題 名:ばかまるだし
作・演出 :西一風(加瀬&齋藤)
上演年月日:1986年10月8・9日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:久津間幹、齋藤秀雄
※完全なるパフォーマンス作品。当時の人気漫画だった「北斗の拳」のパロディー。
8.題 名:不明
作・演出 :目黒 靖
上演年月日:1986年10月6・7日
場 所:存心館地下ピロティー(広場)
出 演:坂口雄一、藤居希恵、菊池ゆかり、目黒靖のはず
スタッフ :不明
※ばかまるだしと同時に公演した目黒君の作品がどうにも記憶も記録も
ありません。これは追って探すとします。
さて、この後、11月に舞台公演を予定していたのですが、それより少し以前から稲本さんをはじめとする4回生諸氏が公演の準備を始めてしまい、これがそのまま第2回公演「メトロが死んだ」になり、目黒君と私たちが準備していた公演は翌年4月の「夜明けの戦人」という形で実現することになります。
そういうこともあり、上記の9月の街頭公演に出演していたメンバーは「メトロが死んだ」には出演しておりませんが、スタッフとして参加しております。
なお、この後、久津間君と加瀬さんは西一風を退団、「アゴラフォビアメッセ」というユニットを結成し、同じ年の12月に公演を行いました。
これは上記の公演時期の問題だけでなく、パフォーマンス性の強い作品をやりたいメンバーと舞台公演をやりたいメンバーで分裂したという色合いが強いです。
そういう意味で、この次の「夜明けの戦人」になるのですが、ここでその後の西一風の方向性がようやく定まったのだと私は考えます。
ただ、さらにそのずっと後、目黒君卒業後、齋藤大君が公演を再開するために奔走したことを考えると、こういった動きは何年かに一回あったのではないかと思いますし、おそらくは今でもあるのでしょう。
それは創造集団の宿命でもあると思います。
写真は「西一風・学生劇場合同公演」の時のもの。
なんでセーラー服着ているのかはすっかり忘れました。
たぶん、学生劇場山本君のセンスだったかと・・・(T_T)