縁あって、会社の大大先輩方と食事をする機会に恵まれました。
御年、69歳から76歳の方まで3人の方で、わたくしの直属の上司だった方から、入社当時の役員に、なんと私の会社の前身の会社にいた方までバラエティに富んだ大先輩たちです。
実は私の会社、大平印刷は昭和32年創立なのですが、それには前身の会社がありました。
その会社は瀬尾印刷というのですが、こちらは明治40年創業と言われています。
私はその瀬尾印刷からそのまま大平印刷になったと思っていたのですが、今回、大先輩のお話でそうではないことがわかりました。
瀬尾印刷は太平洋戦争中に一旦戦争の影響で廃業していたというのです。
その瀬尾印刷があったのが「富小路蛸薬師上ル」。
そして、戦後(昭和21年ごろ)その瀬尾印刷を経営していた瀬尾氏が再度仲間を集めて再開したのが大平印刷所で、それは「東洞院三条下る」にあり、昭和35年までそこにあったというのです。
ということは、現在西大路五条にある大平印刷が株式会社として創立した当時は、「東洞院三条下る」あったことになります。
実は、食事をしたお店が「東洞院六角」、実は昭和35年まで大平印刷があった場所のほど近く。
彼ら大先輩にとっての青春の場所だったのです。
帰り道、「東洞院三条下る」の会社跡を訪ねました。
今は駐車場になっていましたが、大先輩たちは、「ここが事務所でね、こっちが工場があって・・・」と懐かしそうに語ってくださいました。
皆、10代20代に戻った感じで楽しげだったのが忘れられません。
さて、写真上が瀬尾印刷があった「富小路蛸薬師上ル」の土地、下が「東洞院三条下る」の大平印刷所があった土地。ともに今は駐車場です。
これも何かの因果でしょうか。
御年、69歳から76歳の方まで3人の方で、わたくしの直属の上司だった方から、入社当時の役員に、なんと私の会社の前身の会社にいた方までバラエティに富んだ大先輩たちです。

実は私の会社、大平印刷は昭和32年創立なのですが、それには前身の会社がありました。
その会社は瀬尾印刷というのですが、こちらは明治40年創業と言われています。
私はその瀬尾印刷からそのまま大平印刷になったと思っていたのですが、今回、大先輩のお話でそうではないことがわかりました。
瀬尾印刷は太平洋戦争中に一旦戦争の影響で廃業していたというのです。
その瀬尾印刷があったのが「富小路蛸薬師上ル」。
そして、戦後(昭和21年ごろ)その瀬尾印刷を経営していた瀬尾氏が再度仲間を集めて再開したのが大平印刷所で、それは「東洞院三条下る」にあり、昭和35年までそこにあったというのです。
ということは、現在西大路五条にある大平印刷が株式会社として創立した当時は、「東洞院三条下る」あったことになります。
実は、食事をしたお店が「東洞院六角」、実は昭和35年まで大平印刷があった場所のほど近く。
彼ら大先輩にとっての青春の場所だったのです。
帰り道、「東洞院三条下る」の会社跡を訪ねました。
今は駐車場になっていましたが、大先輩たちは、「ここが事務所でね、こっちが工場があって・・・」と懐かしそうに語ってくださいました。

皆、10代20代に戻った感じで楽しげだったのが忘れられません。
さて、写真上が瀬尾印刷があった「富小路蛸薬師上ル」の土地、下が「東洞院三条下る」の大平印刷所があった土地。ともに今は駐車場です。
これも何かの因果でしょうか。