またしばらく更新できませんでした。すいません。


さて、先週学生時代に活動していた劇団西一風の話を書きましたら、なんとなんと、現役団員に方からコメントを頂戴しました。

いやはや、感激するとともに、WEBの力に今更ながら驚きます。

かく言う私、実は西一風のみならず、WEBも黎明期であります94年から携わっておりますが、このブログのSEO効果には驚きますね。


西一風の60回記念公演は無事終わったでしょうか?

サイトを拝見したところ、受付が混乱するくらいだったようなので、大成功だったでしょうか?

でもほんとの評価は次の公演の入りが良いかでわかるんですよね。


西一風の最初の舞台公演、実はそれまでにもその後も、野外公演を実に私の在学中で7回やっていますから、あえてそう呼びます。

この第一回公演「La vie(ラ・ヴィー)」(1985年12月)は、正直、大失敗公演でした。

公演中、大雪が降った日などは役者が13名もでているのに、観客が7名と言う日があったくらいでした。


天候だけが原因でなく、芝居の内容もいわゆる劇団の話を劇中劇を交えながら展開するというもので、こういうものはほんとにうまくやらないと大失敗に終わるものですが、しっかり大失敗しました。

当時の稲本さん(越さんですね)のレパ(戯曲のことです)は、叙情的描写に優れたものがあったのですが、やりたいことが空回りをしてしまい、また、役者もかなり寄せ集めだったこともあり、まとまりのない出来上がりになってしまいました。


この公演の失敗(あえてそう言います)の後、西一風は半解散状態になり、翌年4回生になった先輩たちは就職活動に突入、一時期活動するメンバーは私ひとりになってしまいました。


しかし、そうなったことが当時2部学生中心に活動していた学生劇場との合同公演「コンビニエンス・ストアー物語」(1986年6月)へとつながります。この公演、実は第2回の西一風の公演としてやりましたが、その後、「メトロが死んだ」(1986年10月)を第2回としたため、西一風の公演記録には残っていませんが、たった2回の公演で300名近く集めた、当時としては結構話題となったお芝居でした。(約45分の立花くんと私の2人芝居でした)

そして、その成功が「メトロが死んだ」につながります。

このお芝居は前作「La vie(ラ・ヴィー)」で思いっきりやり残した稲本さんの良いところが良く出た叙情的なお芝居でした。

そして、そして、そこで自分たちの芝居を実現できなかった後輩目黒君たちの鬱屈が次の公演であり、今も西一風で語り継がれる「パワー、スピード、オリジナル」というモットーへつながります。


詳しくはまた書くことにします。