私は親の代からの朝日新聞ファンです。

子供のころからずっと朝日を読んできた。

今回の鳩山法相に対する「死に神」報道には正直、失望した。


6月18日の夕刊に素粒子という小さいコラムがある。その中で将棋の羽生名人が永世名人になったことを「将棋の神様」と評し、品川局長を永世官製談合人と評し「国民軽侮の疫病神」と揶揄したまではよかったが、死刑執行数の新記録を出した鳩山法相を永世死刑執行人と評し「死に神」と揶揄したのはまずかった。

今まさに「秋葉原事件」などで、凶悪犯罪への国民への不安と怒りが渦巻いている中、「空気が読めていない」としか思えない。


大体、今までの法相に、死刑執行に踏み切れない人がいただけであって、死刑は「廃止論議」もあるものの、現行法では、正統な法判断で執行されている刑罰であって、それを執行したからといって「死に神」呼ばわりはいくらなんでもひどすぎるだろう。

この記事を書いた人は、結構軽いつもりだったかもしれないが、死刑囚に家族や恋人を殺されて無念な気持ちをいまだに抱いて生きている遺族の思いが少しは心をよぎったりしなかったのだろうか。

これこそ「報道の傲慢」ではないのだろうか。

私は自民党支持者でもなければ、鳩山ファンでもない。今回の件で朝日を読むのをやめるつもりもないが、正直、がっかりした。

報道は公平でかつ弱者の見方であってほしい。


ただ、最近の「死刑になりたかったから、人を殺した」という凶悪犯が立て続いた。

そうなると死刑の存在も難しくなってくるのだろうか。

どこかの国で「禁固200年」のような本人だけでこなせない刑期を家族に相続して執行するという例があると聞いた。

そういうのも案外抑止力になるのかな?

「親父に刑を食らわしてやるために人を殺した」っていうやつが出てきたらダメか。

どっちにしても、難しい問題ではある。