日本ユニセフ協会から、


マンスリーサポーターになって10年になった事の感謝状をいただきました。



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写真では黒く写っていますが、


デジタル時計付き写真立ての記念品も。



こんなゴミ箱直行みたいな写真立てなんかに無駄なお金を使わなきゃいいのに!って、


ちょっとイラっとしましたが、


やっぱりありがたくいただくことにします(^o^)





10年ほど前にスマトラ島沖大地震があって、


大津波でたくさんの人が亡くなって、


震災孤児になったたくさんの子供達が


見知らぬ人に連れていかれて


連れていかれた先で奴隷にされてしまうのか、


性的虐待をされるのか、


あるいは臓器売買が目的だったり、


そういう報道に心を痛めていた頃、


たまたまヤフーのバーナー広告に


ユニセフのスマトラ島沖震災の緊急支援を呼びかける広告があって、


それをクリックしたのがユニセフさんとの縁のはじまり。




その頃はよく音楽CDを買っていたので、


毎月CD1枚分と思って3,000円を毎月寄附させてもらっていました(^o^)


金額が少ないかな?とも考えましたが、


そのかわり自分が歳をとって年金生活になっても死ぬまで続けてやろうと心願をたて、毎月3,000円の寄附を初めました。


今はちょっとだけ増額して、毎月5,000円にしています(^o^)


盲導犬協会にも毎月5,000円を(^o^)





10年前のその頃はよくよく思うことがあって、


それはどうして自分は生きていたり、何のために生きていたりするんだろうと。
生きていることに何か意味なんてあるのだろうかと、そんなことをよく考えていました。


別に人生が嫌になったとか、死にたいとか、夢も希望もないとか、そういうことではなくて。



例えば自分が今死んだとして、両親や兄弟や友達が悲しんではくれるものの、

自分が死のうが死ぬまいが朝が来て夜が来て、何事もなかったように社会は流れ、社会どころか自分が住むこのちっぽけな町でさえ何事もなかったように流れ、一年、二年と経つうちに、もうほとんどの人が自分が生きていたことさえ忘れられてしまいます。



自分にとっては自分の人生はかけがえのないもので、唯一無二のものであるけど、


客観的に自分の人生を眺めてみたら、なんとちっぽけなものよのー、と。




そのようなちっぽけな自分であっても、何かやったぞ!と思えるようなものはないかと思っても、


20歳を過ぎて30歳を過ぎて、


どんどんと可能性は狭まっていくばかりです。




ところが子供達はどうでしょうか!


どの子供達もみんな


将来のエジソンやアインシュタインや


アンベードカルやナイチンゲールに


なれる可能性を秘めております!



そういった子供達が


温暖化や放射能汚染といった行き詰まる地球環境問題を解決してくれる知恵を発揮してくれるかもしれないし、


争いばかりの人間世界をみんなが平和に幸せに暮らせるような、そういう知恵を与えてくれるような人物になるかもしれない。


まさに子供達の可能性は無限であるのに、
そういった可能性ばかりの子供達がどんどんどんどんどんどん死んでしまうのは、


とてももったいない事だと思うのです。


人類の損失であると。




だからそういう子供達がたとえ1人でも死ななくてもよくなるのならば、


それが自分の何かやったぞ!になるのではないかと思うのです。まるっきり他力本願ですが(^o^)



そうやって生き延びてくれた子供達が、


残念な事に大きくなって人殺しやテロリストになったとしても、


その子供の子供の子供の


孫の孫の孫が、



マリアの父や


弥勒の母になるかもしれない。






無限の可能性をもつ


子供達を死なせてしまうことは


本当にもったい事だと思うのです。