鮎川港のフェリー会社の方が


朝早く島に迎えにきてくださったので、


当初の計画より2時間も早く石巻に着くことができました\(^o^)/



これから仙石線に乗って本日の宿泊地である仙台に向います(^o^)/



仙石線は津波被害から完全に復旧しておらず、


矢本駅から松島海岸駅の間は電車が不通なため


その間は代行バスでの移動になります。


本塩釜駅で途中下車をして


鹽竈神社をお参りする計画なのですが、


高速バスで石巻から仙台に向い、それから本塩釜に電車で移動する方が時間的には早いのですが、


ここでもまた不謹慎に思われるかも知れませんが、電車が不通となっている(おそらくそれほど津波被害が大きかった地域なのだと推測)矢本駅から松島海岸駅の間が、いまどのような現状なのだか見てみたかったので、あえて仙石線での移動を選んでみました。


バスからの車窓は、やはり石巻と同じように説明してもらわなければわからないくらいな状態になっていました。



橋の欄干が川を遡ってきただろう津波の威力でおし曲がったままの橋がいくつもあったり、


堤防なのか、宅地用地のかさ上げなのか、土盛工事をしている現場はたくさんありました。


そして住宅地で更地になっている部分が、多かったように感じました。





本塩釜の駅に着き、鹽竈神社の表参道に向かってゆるい坂道が続きます。

ゆるいといっても10分以上は歩くのだから、それなりの勾配はのぼってきたのだろうと思うのですが、

信じられないことに、表参道入り口のすぐ近くに津波到来の碑があるのです。



その碑より低いところは当然津波の被害にあわれたわけで、


駅ビル周辺からこの参道入り口までのビルや住宅街が、当時津波の被害にあったのだなんて、まるで想像もできなく信じられないくらいです。



こちらに来て知ったのですが、津波当時の被害状況を伝える報道写真集が、それぞれの地域ごとに何冊も発売されている事を知りました。


北海道にいてはそのような写真集があることも知らず、実際にその土地を訪ねてみても、当時の惨状を今の風景から読みとるのはもうほとんど不可能で


被災された方達にしてみたら思い出したくもない事だと思いますが、そういう当時の報道写真は私のような者に津波の危険性を伝えるとても重要な写真であると思いました。