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        多分、筆者自身が描き込んだ時刻表をブックカバーにしたと思われる。

          ペトゥシキはモスクワの東部、約130KMの何にもない集落。

                没年1990にモノ好き達が追悼旅行。pet (5).jpg                      

モスクワ、終点へ ヴェネディクト・エロフェエフ 」 ロシアのユーモアと社会評論のこの古典では、解雇された主人公が暴飲暴食をしてペトゥシキ行きの電車に飛び乗ります(ペトゥシキで「最も愛する妻子」が待っています)。途中、彼は天使、同乗者、そして世界全体に、アルコール、政治、社会、アルコール、哲学、愛の痛み、そしてもちろんアルコールについての壮大な独白をカマします。

 

​​​ヴェネディクト・ヴァシリエヴィチ・エロフェエフ(Венеди́кт Васи́льевич Ерофе́ев)はロシアの作家。

 


彼はなんとかモスクワ大学の文学部に入学できたが、義務付けられている軍事訓練に参加しなかったため、1年半後に大学を追放された。

その後、コロムナやウラジミールなど、さまざまな町にあるさらにいくつかの学校で学んだものの、一度も卒業できず、通常は「非道徳的な行動」(自由思想)のために退学させられた。

1958年から1975年の間、エロフェエフはロシア、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニアの町でプロピシュカなしで暮らし、ウズベキスタンやタジキスタンでもしばらく過ごし、低賃金で低賃金のさまざまな仕事をしていた。

(プロピスカ は、1917年以前のロシア帝国と1930年代のソビエト連邦で使われた、居住許可 と移住記録。両方の手段だった。)
エロフェエフは、1969 年の散文詩『モスクワ-ペトゥシキ』で最もよく知られています(『モスクワから終点まで』や『モスクワ駅』など、いくつかの英語訳が存在します)。モスクワからペトゥシキ(ウラジーミル州)まで列車で移動した、酒に浸った旅の記録です。旅行中、主人公はノルウェーへの宣戦布告や、ケーブル敷設作業員のリーダーだった当時の同僚の飲酒習慣の記録など、自分が参加した素晴らしい冒険のいくつかを語る。

エロフェエフは咽頭癌で亡くなった。

 

                    

       

                   アル中になると、靴墨を舐めるらしい。

                         天使が飛び回り、、、