ストロガノフ家の中でも富豪中の御曹司さん。
愛称は ポポ 君
もう10年以上前に、ロシア料理の「ストロガノフ」の名付けはどこからかと、調べたことがある。どうもオデッサ居住の
ストロガノフ家に関わってくるところまで突き止めたのだけど、主人が関わっているのか料理人が関わっているのか?
確証が得られなかった。
その埋め合わせとして、種々の雑情報が流れてきた。1789年に一寒村と要塞がしかなかったオデッサを露土戦争の勝利品として、エカチェリーナ2世の肝いりで接収発展させたのが前身、当初はユダヤ人とギリシャ人が街の商業覇権の闘争を繰り広げたとか、ロシア政府は南方政策の為、巨額の投機、寒村から一挙に大都市へ。。
[ポチョムキン村]の虚偽???等。
一介の塩商人ストロガノフ家が貴族にどのようにして登り詰めたのか?本拠地は何処なのか等々を調べているうちに、あるストロガノフ家の御曹司さんが、フランス革命下のパリで活動をしていた、との記事を読んだので調べはそちらの方へ。今回また色々の資料を少し真面目に読み返すと、革命ごっこをしていた、オボちゃま達は三人いて、あとの二人は兄弟。その頃のパリへは学業、新時代の流れを読み取る等の為
ロシアからも複数の若者達がやってきていた。そんな中でこの三人は極めてオボちゃん暮らし。
革命下の彼らの暮らしぶりは、現存してる書簡類から憶測するしかない。その頃のパリは?
手持ちの資料なんて無いにも等しい御粗末さ。
革命の変遷史は豊富にあるのだけど。。。
このカラムジンの資料(本来の題名は、「ロシア人旅行者の手紙」)もかなり割愛されてるので残念だ。
パリに行く前にカントさんに会ったりしてる章が無くなっているとか。
カラムジンは頭がいいので革命に関しては無記に近い、
我らが、ポポ君の筆頭家庭教師でメントールのフランス人、 Gilbert Romm 彼は後期に完全革命かぶれになってジャコバン派のそれも山岳派に入会。同じグループには男装の革命家テロワーニュ等もいた。ポポ君のお父さんから再三のロシア帰国の勧告を受けていたのに、革命三昧のおかげで、監督不届き状況下で、お坊ちゃん気質のポポ君、ジャコバン派の名簿に名前を記入、偽名なのに後で判明。ロシア帝国の公安有能です。故にポポ君、お父さんが急遽派遣した年長従兄弟
に引き連れられて帰国したけれど、サントペテルスブルグには入市禁止を受けてしまいます。
カラムジンは苦労人なので権力側を刺激しません。当時フランス以外の諸国は革命伝染病を収束撃滅するかで、まるでコロナ禍の今日世界。
ポポ君はこれからも時々、降りてくるようにしたいです。
PS。「味覚の生理学」の サヴァランさんが本の終わり近くで命からがらアメリカに亡命中のフランスの状況を書いているけど、なんかどことなく自慢話(勿論可愛いんだけど)。
兎に角、血なまぐさい時代です。

