「ヘタクソ製作」「ヘタクソ模型づくり」という言葉を、自分はことあるごとに発している気がします。いちいち《鼻に付く》ぞ… と思うむきもある(いえ、多い)かも。

で、いささか弁明を。

 

 

 

 

 

     製作したガレージキットの一部。

 

 

 

 

この言葉、いわば意識的に、自戒を込めて使っているつもりです。

その理由は、つぎのようなところかと。

 

①ホントにヘタクソだから(笑)。

四つ年上の亡兄が器用なひとで、割り箸を小刀で削って、鞘付きの精密なミニチュア日本刀や槍を製作したことがありました。

もちろんただの《手慰み》です。

自分が子どものころ、その兄がプラモデルをせっせとつくっていました。

レベル製の1/28?の戦闘機でしたか、レベルカラーももちろんすべて「手塗り」で、キレイに塗装し、仕上げていましたっけ。

(「つや消し」剤にはお線香の灰を塗料にまぜていました。ろくに道具もない時代でしたが、それでもちゃんとした作品でした。自分は未だにあれに追いつけていません…。)

その影響で自分もプラモづくりをするようになりましたが、悲しい哉、器用さの遺伝子は残らず兄に行ったようで…。

 

 

②それでも何十年も模型づくりを続けて来て、まあヘタもヘタなりに… という感じにはなりましたが、他に趣味もなく模型ばかりつくって来たせいで、部屋中模型だらけに。

ですが近年、実家に転居する都合もあって、製作した模型(ガレージキット)をほぼ半分、オークション出品して、処分しました。

(その数、おそらく百点は下らないかと。)

ガレージキットは希少品や珍品もあり、なんとか無事に<さばけ>ましたが、戦車模型の製作品についてはキビシイものでした。

それで自分のヘタさ加減をシビアに、そして客観的に思い知らされた… ということです。

プロのかたのように、模型を瑕疵〔かし〕無く、つまり、文句のない、万全なかたちで、製作する技量は自分にはない、とはっきり思い知りました。(当たり前…。)

 

 

 

 

③比較的近年なのですが、あるひとのブログ記事を見るようになって、模型づくりってこういうものだったんだ、といまごろになって、心底得心しました。

基本技術がひとつひとつ、クリアで正確。「プラモデルの作り方」のお手本のような工程を見て、いかに自分が基本からして<なっていない>か、を痛感しました。しかも、いまごろ…。

そのひとは、基本的に安価なプラモを製作されるのですが、丹念に、そしてキチンと仕上げて、安いプラモでもじゅうぶんに模型づくりを堪能できることを証明してくれます。

これには心底、感銘を受けました。これこそが模型づくり… です。

対して自分は、デキのよい高価な模型ばかり漁〔あさ〕っています。

キット自体の品質の高さに頼らないと、自力では模型づくりできないわけで、これはヘタクソという以外にありません。

 

 

 

 

…というわけです。

自戒を込めて、毎度「ヘタクソ」と自称(自嘲)する理由、じゅうぶんにご理解いただけたかと思います。