亡くなった家族の分もしあわせにって? | たらりらりんな赤ちゃん待ち生活と日常|48歳

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死産/流産/乳がん中断/KLC感謝/48歳

最近は、治療に通うのがとても楽しみです。

女性週刊誌も読むことができるし、夫の職場が近く、以前は終電帰りばかりだったのが、私が18:00前に予約して行くと、一緒に帰ってくれたりもします。

土日の受診の時には、一緒にランチを食べて帰ったりも。



今、初期胚が連続してダメで、胚盤胞にチャレンジしていて、前の病院では、何度もダメで、KLCでも育たなかったりしていたのが、

なんとここ2回とも、1つずつ凍結まで完了しました。


くーちゃんが37週で亡くなってから、
3年が過ぎ、

悲しい出来事はその後にも沢山起こり、

今は、毎日ご飯を食べられることがしあわせだも思い、

過ごしています。


昨日テレビで、

子供さんが自殺された方が、

残された者が、亡くなった人のぶんもしあわせにならないと、とお話されていて、

わだかまりを感じました。


私が母を亡くしたとき、
そのようには全く考えず、

くーちゃんが亡くなった時も、
後悔しかなく、

しあわせ?しあわせ?しあわせ?

しあわせなはずがないと思ったりしています。



人によって考え方は大きく違うんだなと思いました。

くーちゃんがいないことは、やはり悲しく、今も毎日妊婦マークを見かけると、心が痛み、小さい子をみても、もう3年か、と思います。


治療、いつまでどこまで続けることができるのか、

そして、それが赤ちゃんにつながるのかどうか、全く分かりませんが、

亡くなった人こそが、しあわせでいてほしいなと思います。

残された私達は、亡くなった人のしあわせを祈りながら、平凡な毎日を頑張って積み重ねていきたいと思います。