女性週刊誌も読むことができるし、夫の職場が近く、以前は終電帰りばかりだったのが、私が18:00前に予約して行くと、一緒に帰ってくれたりもします。
土日の受診の時には、一緒にランチを食べて帰ったりも。
今、初期胚が連続してダメで、胚盤胞にチャレンジしていて、前の病院では、何度もダメで、KLCでも育たなかったりしていたのが、
なんとここ2回とも、1つずつ凍結まで完了しました。
くーちゃんが37週で亡くなってから、
3年が過ぎ、
悲しい出来事はその後にも沢山起こり、
今は、毎日ご飯を食べられることがしあわせだも思い、
過ごしています。
昨日テレビで、
子供さんが自殺された方が、
残された者が、亡くなった人のぶんもしあわせにならないと、とお話されていて、
わだかまりを感じました。
私が母を亡くしたとき、
そのようには全く考えず、
くーちゃんが亡くなった時も、
後悔しかなく、
しあわせ?しあわせ?しあわせ?
しあわせなはずがないと思ったりしています。
人によって考え方は大きく違うんだなと思いました。
くーちゃんがいないことは、やはり悲しく、今も毎日妊婦マークを見かけると、心が痛み、小さい子をみても、もう3年か、と思います。
治療、いつまでどこまで続けることができるのか、
そして、それが赤ちゃんにつながるのかどうか、全く分かりませんが、
亡くなった人こそが、しあわせでいてほしいなと思います。
残された私達は、亡くなった人のしあわせを祈りながら、平凡な毎日を頑張って積み重ねていきたいと思います。