裏も見せ表も見せて散るもみじ | そらいろ

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写真とガーデニングとワンコが好きで、そんな日々を綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

もう10年以上前のことになります。

義父の法要の為に夫の実家へ行くと、まだ存命だった義母がお世話になる施設から義兄の迎えで帰宅しました。

 

数年前のある日、突然に「お湯の沸かし方がわからない」と言い始めた義母は、脳外科を受診すると認知症でした。義父が亡くなってからもひとりで暮らし、雪かきもなにもかも自分でやっていた人が、料理はもちろん、お湯を沸かすことすらできなくなりました。

義兄が実家に入ったけれど、認知症の母と、もともと反りの合わない息子では噛み合うことはなく、そんなストレスも悪かったのか、それはもう急激なスピードで進行していったのです。独り者の義兄に手に負えなくなり、義母はほどなく施設に入所するようになりました。

 

そして、法要の日。車から降りた義母は自宅へ帰宅したにも関わらず落ち着かない様子でしたが、それは法要が始まっても変わらず、襖を開け閉めしたり、お経をあげる和尚さんの後ろに座り、袈裟の模様を指でなぞったり…それはまるで、幼い子供の姿のようで…我が息子たちは必至で笑いを堪えていたほどでした。

 

お経が終わると、和尚さんはくるっとこちらに向きを変え、穏やかな表情でお話を始めました。

「お母さんは今、残される皆に人生のすべてを教えているのです。良寛さまの句に、『裏を見せ表を見せて散るもみじ』がありますが、人間の裏も表も全て見せて…良いところもいやなところも、いろいろ…全てあっての人生だよ、とね。」

 

死期の迫った良寛さまのもとに親交の深かった貞心尼が駆け付けると、ご自身の気持ちをこの句に託したようです。貞心尼によると、詠んだのは良寛さまではないようですが、今のお気持ちをよく表した句として伝えたようです。

なんだかじんと、胸に来るものがありました。

 

 

私と義母はそれまで、決して仲の良い嫁姑ではなかったのですが、義母が認知症になってからは仲良くなりました。今までそんなことを口にしたことはなかったのに、施設にお見舞いにいらしたお友達に私のことを、「かわいい子でしょう?うちの嫁。」と紹介してくれたり(もう、かわいいという年齢ではないのに!)、車に乗る時は私の隣に腰かけ、歩く時は義母から手を繋いできたり。とっても優しくて可愛くて…仲良しになることが出来たのです。

 

そうして不仲を修正して、義母は旅立つ準備をしていたのかもしれませんね。そう思うと、私ももっとできたことがあったのに…と、悔やまれてなりませんでした。

 

今となっては戻らない時間…私はこの学びを、自分が姑になった時に活かそう、と心に誓いました。二人の息子は未だ結婚はしていませんが、お付き合いしている、一緒に暮らす女性はいます。表も裏も見せながら、でも、ちょうどよい距離を模索していこうと思うこの頃です。