震災が起きてから、どうも世間が暗い気がする。
確かにこれだけ大きな規模の災害だから、どうしてもうつむきがちになってしまうのもわかる。
被災はしなかったけれど今までに経験の無い激しい揺れに恐怖を感じた私達は色々と敏感になっている。
余震だってまだあるし、原発の問題は一向に落ち着かなくって、不安は尽きない。
けれど、現地の、当事者の人達が”今”に精一杯になっているのに、
そこに手を伸ばすべきの私達が下を向いていたら、助けてと伸ばされた手にも気付かない。
--- 暗くなり過ぎるのはどうなのか、そんな事を考え始めた今日この頃。
別に、ドンチャン騒ぎしようとか、震災のことなんか忘れてしまおうとか、そう言う訳ではないけれど。
一所懸命な被災地の方々は”今”を全うしている。
それに比べたら少しは余裕のある私達は”今の先のこと”も考え始めなけらばならないのではないだろうか?
例えば、このまま暗い気分が続いていたら、消費欲が落ちるのは目に見えている。
消費が落ちると言う事は市場が縮小する事であり、長期的に見て経済的な損失につながっていく。
復興にはお金の流れが必要だ。
各地での募金や著名人の義援金はとてもありがたいことだけど、そういうお金だけが必要なお金じゃない。
被災して、避難して、保護されて、それが終わったら自分達で生活をしていかなきゃならない。
人々が自立するには仕事が必須で、そのためにも経済を低迷させない事が不可欠なのだ。
だから気持ちは不安いっぱいでも、動向に問題が無い私達は”いつも通り”生活する事も重要なんだ、と思う。
素人考えだけど、そう思う。
募金や物資の提供もとっても重要な事ではあるのだけれど、
それだけに囚われていては”前”には進めない。
いま、私たちに出来ること。
”いつもどおり”の日常を、”普通”の毎日を少しづつ取り戻していくこと。
「買い占めない」 と 「買い控え」 はイコールではないと思うし
「要らない物を余計に買う」 のは間違ってるけど、「要るけど今は我慢する」 のも違うと思う。
節電は大事だけれど、
停電もいたしかたないけど、
「被災地の人たちはもっと暗い所で...もっと寒い所で...」 と必要以上に自制するのは・・・?
もうそれは単に己の修練であって、被災者の方達がそんな事を望んでいるのか不思議な気分にもなる。
いま私たちが節電しているのは現地の人のためなんかじゃない。
原発が運転停止して首都圏の電力消費がパンクしないための措置であって、現地の人には全く関係無い。
(この節電意識をこの先ずっと持っていて原発問題に一刀入れるつもりであれば関係なくも無いけど。)
過度な贅沢を推奨してるんじゃないけど、暗い部屋で膝を抱えて想いを馳せていても何も始まらない。
肩を丸めていたら血行が悪くなって肩こりがひどくなるだけだ。
いち早く”いつもどおり”を始めたTVのバラエティ番組には複雑な心境になってしまう私だけど、
そう言う気持ちは胸の中にしまって。
誰の批判も、指差しも今はしたくない。
自分に出来ることを考えよう。