大真面目な顔して書くけど、



全ての問題の根底にあるのはきっと愛だ。



それぞれ考え方が違うから揉めてしまうけれど



みんな『何か』を良くしたくて、『誰か』の幸せのために一生懸命なのは同じだと思う。



それがたとえ一見理不尽な方法に見えたとしても。



つまり世界中のどんな問題も、その根底にあるのは何かしらに対する愛なんだって、きれいごとじゃなく本当にそう思う。



世界の平和のためにとか大きなことは私にはムリだから、それはどこかの偉い人たちにお任せしておくけど…。





もっと小さく



我が家の中で起きている問題とか



私の中で起きている問題も



その根底にあるのは間違いなく愛なんだってことは覚えておこうと思う。



そしたら、いやーな自分が見えた時も



自分を守るために頑張ってくれている(ときにはサボろうとしている?)、自分なんだよなーって愛しく思えてくる。





長男も今は



『自分のために学校へ行かないという選択をしている自分』と、


『学校に行かないと大変なことになるのかもなーって自分のために考えてる自分』



との狭間で悩んでいる(のかもしれない)。





その結果、最終的に自分のためにどんな選択をするのかは分からない。


でも今の私が、彼に対してできることは、見守ることと



その結果出てきた彼の選択を、否定せずに応援することだけなのかも。



アドバイスさえ今はまだ余計で、彼が求めてくるまでは不要なんだと思う。





もちろん一緒に考えて欲しいと言われれば


『待ってました!』とばかりに相談に乗るけど


その場合でも、一番大切なのは本人が何を望んでいるのか。


ココなんだということは忘れないようにしたいなぁと思う。





そんなこと言ってるけど


もしも嬉々として『オレは引きこもりになる!!』って言われたりしたら



それを応援できるの??って不安も無くはない(笑)。


まるで地上100メートルの綱渡りの最中に、ふと足下を見てしまったような不安に陥る時もある。



心配になるのも親として自然な愛情なんだろうから仕方がない。






でも、


彼が自己否定を続けた結果の、自分を守るための最善の選択が
→→→引きこもり


だと思うので、


私がこのまま勇気づけの声かけを続けていれば、
そういう選択にはならないと思うのだ。


『学校へはやっぱり行かない』



はあり得ると思うけど、そこに対する私の不安は、もう前ほどではないかなぁ?






なんにせよ、



子供たちの人生の選択は、子供たち自身に任せる。



そこだけは絶対だと思う。



そうすれば、子供たちは安心して自分への愛に満ちた選択をすることができるんだと思う。








サバちゃんも見守り中ですよ。