長女が退職したのとほぼ同時期、中1の長男も学校に行き渋るようになっていた。



同時に2人もこんなことになれば、原因は外にあるわけではなく、母親である私にあるのではないか?と思わないわけにはいかなかった。



親に愛されずに育った(と思っている)私は、そもそも良いママである自信なんて全くと言っていいほどなかったから…。





娘の言葉を噛み締めながら、私は一生懸命考えてみた。






お片付けできない娘は愛せない?



無駄使いする娘は愛せない?



学校に行かない息子は愛せないの??






そしたら娘の言葉が正しいのだと素直に思えた。



子供達に望むことって、なんだろう?



…生きててくれるだけで、それだけでいいんじゃないかなって。



そして、お片付けするしないも、学校に行く行かないも、その他もろもろどんな問題も、



本人が困った時に自分自身でなんとかするしかないことなのではないかと思った。



それなら、私が親として子供に伝えなきゃいけないことなんて、



お洋服の着方や食事の仕方、そういった最低限のこと以外、特にないような気さえした。



ましてや声を荒げて叱らなきゃいけないようなことなんて、一体何があるんだろう?と。






自分の命を大切にすること。



他人の命も大切にすること。



法律を守ること。






これくらいしかない気がしたのだ。(それすら声を荒げる必要はないのかもしれない)






そして、



ちゃんとなんて育てなくてもいいんだ。



そう思ったら、誰よりも、私自身の心がスーッと軽くなった気がした。
















私は今まで、



“ちゃんと育てなきゃ私が不安“だから、



その不安を怒りに変えて子供達にぶつけていただけで



それは、決して子供達のためではなかったということに気づいたのだ。









私は、長女・次女・長男に



自分が考えたいろいろなことを全部話して、



『ごめんなさい。ママ、変わるからね。』



と謝ったのでした。