心がざわつく出来事があったとき、
『それを聞いて(されて)どう感じたの?』
と自分の気持ちを聞く。
うんうんって聞く。
…で、その先はどうしたら良いんだろう?(笑)
私がもうすぐ受講する予定の講座 UMIでは、
何を言われたか、何をされたかではなく、
どうされたと思ったか、どう捉えたかに目を向けるそうだ。
宇宙の法則(自然の摂理?)から見ると、
相手が私に言った事は
私が私に思ってる事で、
例えば『許せない』と言われたのならば、私も誰か?
私?の事を『許せない』と思ってるって事。(受講前なので、解釈間違いの可能性あり)
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我慢して生きている人は
他人にも我慢を押し付ける。
節約して生きている人は
他人にも節約を押し付ける。
自分を責めて生きている人は
他人のことも責めるようになる。
自分の可能性を制限している人は
他人の可能性も制限したくなる。
自分の人生を自由に生きている人は
他人の人生の自由を尊重できる。
……………………
↑これは椎原崇さんの言葉だけど、これも宇宙の法則そのままのように思う。
完璧であろうとする人は
他人にも完璧を求めてしまったりするもんなぁ…。
それから、中庸であるということ。
無謀と臆病の中庸は勇気なのだそうだ。
勇気づけ勉強中の身としてはなんとなく嬉しい発見。
にしても、ブラックな自分の感情や行動も受け入れるとはどういうことなんだろう?
嫌な感情を見ないふりをして『放置』するでもなく、
何が悪いの?と『開き直る』でもなく…。
その中庸が、『受け入れる』ってことなんだと思うけど、具体的にはどうすることなんだろう?
欠けている自分を無理に埋めようともせず、
誰かに埋めさせようともせず、
そのまま受け入れる…。
まだまだよく分からない未熟な私。
そんなことを考えていたら、ふとテレビから流れてきた
Official髭男dismの新曲『universe』
の歌詞が、こんな私に答えをくれた気がした。
………………………
0点のままの心で暮らして
笑って泣いて 答えを知って
………………………
参りました!と一旦0点の自分を
観念して認めて、
このままの私で笑って泣いて
このままの私で幸せになろうって決める。
まだまだ腑に落ちるところまではいかないけど、すこーしだけ分かったような気がした。