愚痴なんて、生産性がないと思っていた。
だから言うだけ無駄だって、ずっと自分に言い聞かせてきた。
だから子供が言う愚痴にも、ついついストップかけてきてしまっていた。
「そんなこと言わないで、考え方を変えてみようよ」
「〇〇ちゃんにも良いところあると思うよ」
「笑っていれば良いことあるよ」
その結果、
「ママはいつも私の話を聞いてくれない」
「みんながママのように雑草なわけじゃない」
子供にそう思わせてしまった。
でも、愚痴を聞くって大事なことだったんだなーって今頃だけど気づいている。
聞いてもらえるだけで楽になることもある。
聞いてもらえるだけで、この先どうしたら良いか自分で考えて動き出すための勇気が出ることもある。
話すだけで自分が本当に思っている気持ちに気づけて、気づけただけで消化できる気持ちもある。
私だって雑草のように強かったわけではなかった。
こんなこと思っちゃいけないって心のずーっと奥の方にいろんなことを押し込めてきただけだ。
押し込めたらいつか消えるんだと思っていた。
無かったことにすれば大丈夫だと思ってた。
だけど逆なんだ。
押し込めたら消えない。
いつまでもいつまでもシコリとなって残るんだ。
そして何より厄介だなーーと思うのは、
無視し続けると、自分の本当の気持ちに気づくのがヘタになること。
自分が本当は何を望んでいるのか分からなくなるということ。
だからリハビリとして、日頃の小さな選択も大事にすることにした。
空気を読まないで選んでみる。みんながどうだからとか関係なく、
ほんとうに欲しいのはどっち?
ほんとうにしたいことはどっち?
これが案外難しい(笑)
周りのことを考えて選びたいって思っているこっちの気持ちが本当なのでは?とかぐるぐるする。
頑張らないようにすることを頑張る、みたいなことも起きる
難しい(笑)