アーバンギャルの卒業まで | アーバンギャルの卒業式

アーバンギャルの卒業式

アーバンギャルドについて
好き勝手に書き散らします。

アーバンギャルドのファンになって数年と書いたが、正確にはどれくらいかわからない。

きっかけはファンのブログ。

炎上したかなんかでまとめサイトにのり、なんの気なしに見ていて初めて「アーバンギャルド」というバンドを知った。

知った当初はいまいち耳馴染みしない曲で、しかも過激で不謹慎な歌詞だと(読解力がないだけです)眉をひそめた。

だが、いくつか曲をきいていくうちに「オペラ・オペラ・シオネル」に行きつき、好きになった。


少し話はそれるが、この曲を聴くたび園子温監督の「地獄でなぜ悪い」が頭をよぎる。

大広間のチャンバラシーンだ。二階堂ふみちゃんが血まみれになる場面。


話を戻す。

アーバンギャルドの歌詞は一度聞いただけで理解できず、最初は忌避感を覚えることが多く、どっぷりはまるまで結構時間がかかった。


アーバンギャル、ギャルソンはメンヘラが多いと思っている。

ネットでアーバンギャルドと検索すると、「アーバンギャルド メンヘラ」と出るくらいだ。

そして例に漏れず私もメンヘラだった。

頭の病気だった(一応、過去形にする)。

ピーク時には聞いていなかったが(たぶん、記憶が曖昧)、少し治まったあたりからアーバンギャルドは私の薬になった。

そして今でも薬として服用している。

特に「ももいろクロニクル」、「プロテストソング」、「都市夫は死ぬことにした」を頻繁に。


どんな薬にも副作用はある。

この薬は私が飲んできたどの薬よりも手軽で服用しやすいものであるが、依存性が異様に強かった。

これはあくまで私の服用の仕方の問題だったのだが、自分の耳に優しい言葉だけを拾うようになってしまった。

自分が消えてしまわないための拠り所が欲しかったわけだが、私はアーバンギャルドに寄り添い寄りかかり、自分の居場所を見つけたとばかりに根が生えたように動かなくなってしまった。

責任転嫁ではない。

アーバンギャルドは前に進めるように言葉をかけてくれてもいた。

なのに私は聞かなかった。


あげくがこの様だ。

今のこの現状だ。


ここ一年ほどはだいぶん心が落ち着いてきたと思う。

もう自分が病気かどうかなんかで悩むことも減った。

今こそ前に進む時だ。

なのにいつまでたっても私は同じ歌詞ばかり聞いている。

同じ部分ばかり。


アーバンギャル・ギャルソンという言葉が、=アーバンギャルドのファンという意味とはわかっているが、私は勝手に(ほんと勝手に)「アーバンギャル」という呼称は熱狂的なファンに与えられる称号だと思っている(バンドの名前をいただいているんですから!)。

そしてこれまで一度も自分をアーバンギャルと思ったことはなかったが(にわかファン程度だと思っていたが)、自分の異様なまでの依存度は「アーバンギャル」と呼べるレベルだろうなとようやく気付いた。


そしてその依存から抜け出さなくてはいけなくなった。

私は服用の仕方を間違っていた。


ファンであることを辞めるつもりはない。

だが、アーバンギャル(熱狂的で依存している状態)は卒業する。


いつまでも狂っていてはいけない。

狂人のふりをしていてもだめだ。


アーバンギャルドの説明書(歌詞)を正しく読み、ただしく服用し、人間として復帰するつもりである。

その時はこのブログのタイトルを変更できるだろう。



追記

自分で書いておいてなんだが、メンヘラという言葉は侮蔑的な感じがして嫌いだ。