<最近の日記:Re>

 

 ・六月に突入。今までの麦・本公演期の負債を取り戻すべくバイト三昧の日々を送っています。次第にちょっと人間関係が渋すぎることが発覚。もうやめちまおうと息巻いていた時期もあったけど、さすがに逃げだなと結論付いたのでひとまず続行することにしました。一応塾バイトもぼちぼち探しつつ、いいとこ見つかったらフェードアウトしてそっちにシフトしようかな、の気持ち。バイトだけにねっ。

 

 

 ・家の前にずっとあった大きな木が伐り倒されていた。本当に小さなとき、その木の下の木製の椅子に座ってなゆーんとしていたから、ちょっとだけ寂しいような気もする。あきらかに業者の仕事の跡だったけど、それにしても誰が頼んだんだろう。あの木を大切にしていた地主のおじいさんは亡くなったんだろうか。

 

 

 ・本公演の本番週前夜に家の近くで花火が打ち上がっていたので、昔縁のあったひとを呼び出して花火を見ながら少し話した。(重なる砂漠ブログで思い出してしまったので仕方なく)。昔話した思想とか、あれとかこれとか、強いなーって笑われたやつ全部詰め込んで作品作ったよって言ったら、「愛してたもんね、ずっと。ずっと自虐的に語ってたけど。」って返ってきて少し泣きそうになった。別に愛してたわけじゃない。って今までなら出せてた言葉が出せなくなった時点で私の負けは更新され続けるんだろうと思う。これが流れ星なら意地でも不幸を願ってたんだけど、と言い合いながら花火を見終えた。再会記念に連絡先を消した。これが今年の夏らしい思い出になるのは絶対に癪なので、予定をこじ開けて夏祭り、ないしは最悪花火だけでも見に行こうかなと思います。

 

 

 ・久しぶりに聞いた「だから僕は音楽を辞めた」のメロディを心底美しいと思う。こういうタームが定期的に来る。「考えたんだ。あんたのせいだ。」のフレーズ、一切過不足なくて妬まさも湧かない。言語をメロディとして換算したメロディとして美しい。ナブナはボカロ時代が一番好き、とかいう害悪オタクムーブにある程度賛同してしまう部分が私にもあるのだけど、たとえば『それでもいいよ』の「人生に間違いが無かったらあきらめなんて歌わねぇよ」「失敗の数だけ強くなれんならどれだけ僕は強いんだよ」はもうさすがに好きがすぎる(それをラスサビ前に持ってくるところ含めて)ので許してほしい。「パガニーニが人を殺しててもラ・カンパネラのメロディは美しいでしょう?」って神様がこの世の真実を口にするみたいに彼がラジオで言ったこれが心底好きで、ほんとにずっともっとちゃんとフランツ・リストを弾いてみたいんだけど、ピアノに触らなくなって疾うに2年が経った私にはカンパネラなんて土台無理な話なのでめそめそするほかない。か、(あるとしたらば)余生にかけるほかない。

(追記:たまたまなぜかケーキの時の会話でラカンパネラの話になった。自分の語り口に若干諦めきれない気持ちが滲んでいてきもかったので、譜読みだけちょっと触ってみようと思う。)

 

 

 ・コロンブスの炎上、ぷすさんの逮捕を見ていて、まあ創作物と創造主を切り離すなんてジェネラルには無理だよなと実感する。『アウフヘーベン』『ツキマシテハ』とかから大森元貴という人間を考えると、たぶんある程度は意図があったというか、皮肉と諦観、受容というか、まあ穿った感じででもそれを大々的に出力するわけでもなく、なことだったのだろうけど(初見で聞いたときまろやかにしたアウフヘーベンみたいだなと感じたからそう思っただけかもしれないけど)、それを容認してくれるほど世間は甘くなかったみたいな、感じなんだろうなぁというのが個人的所見。ぷすさんについては全然びっくりした。わりと「公の場でも思ったことをそのまま言うぜ」「俺はこんな人間だぜ文句あんのか」みたいなスタンスだったから、なんとなくわかったつもりになっていたんだなと思う。んなわけないか、そりゃ。

 もし私が直近のうちに死んだら飛行は悲劇になるのだろうかと考えた。ちょっと癪だった。そういうのは嫌で、それでも薬を飲み続けないなら、人より突然死の可能性が10倍前後ある私はもう少し生き方を考えなければならないなぁと思う。そろそろほんとに。いい加減一種類だけ余り続ける薬に言い訳が効かなくなってきた。そういえば随分長いこと検査をしてないので、決定的に悪化していた場合どーんとそれが発露することになるので非常に気まずい。いやまあ悪化してなかったら逆にじゃああの薬はなんなんだという話になってくるのですが。永遠にのらりくらりと躱していきたい。そう画策するので後世の気まずさレベルが上がっていくのです。これが現代の雪だるま現象。

 飛行中、一種類だけじゃなくて全種類飲むのをさぼってた時期があって、十日続いたくらいで目に見えて徐々に死に始めて、あ、これやばいのかと気付かされた。たかが錠剤でもなめたもんじゃない。主宰のことを考えると非常に申し訳ないが、今思えば飛行期は私がいなくなったときのためのアフターフォローをなんにも準備してなかったので神の祝福には感謝したい。新訓中は一応担当の人に話を付けておいてたのにな。まあそのひとが座組にいるからいいか、という甘えがなかったでもない。

 

 

 ・昔の友達がウエディングプランナーになっていた。彼氏と別れたばかりの時期が一番効率よく働けるらしい。なんて反応すればいいんだ。私の従妹もウエディングプランナーの専門学校に通い出したよー!確かに彼氏いないって言ってた!と返しておいた。だからなんだ。

 

 

 ・谷崎潤一郎、久々に読んだけどあまりに才能のごり押しでおもしろい。これを読んで興奮を覚えるのが目指すべきフェーズな気がしてきた。今の私では文学美の処理でいっぱいいっぱい。同じ耽美派でも私はオスカーワイルド畑のひとなので、と二個上の代のひとに豪語したけど、でもまあなかなかどうして日本人だから、文体そのもので考えたら谷崎のほうが向いてるはずというか、有利なはずというか、そっちをキャッチする訓練をしたほうがいい気もするので、しばらく読み続けたい所存。

(追記:またまたなぜか文学談議になって、久しぶりに夢野久作が読みたくなったので先そっち寄り道します。)

 

 

 ・ペーパームーンにケーキを食べに行った。念願! 最初に中高で一番お世話になった先生に連れてきてもらってから私の中でとても特別な場所。それ以来NYの大学に進学する友達のいってらっしゃいデーとか、誕生日とか、受験終わり祝いとか、そういう節目をみつけてはなにかと理由を付けて行っています。本公演はそれに足りると信じてます。ケーキはいつものアプリコットチーズケーキ。紅茶はストロベリーパーティー?とミルクティーフリークで悩んで、フリークってフリーザみたいだなと思って後者にした。めっちゃ幸せだった。ご褒美×ご褒美。そのあとねぎし食べてカラオケ行ってマック行って弾丸デデデデ。マックのBGMにのせられすぎている。ちゃんと怖かった。自分って言葉に対してすっごい信頼を預けてるんだなという気付き、得。あと椿屋高すぎ。でも深夜開いててくれてありがとう。ねずみで騒いだ時に、去年島にある祖父母の家に滞在したときに部屋の隅に潜り込んできた野生のウサギを思い出してしまった。正直絶対に新宿のねずみと大差ない様相だった。ねずみとかうさぎとか関係ないのよ。獣なのよ。毛の長さが獣でしかないのよ。そのときは家族総出で追い出そうとしたけど動くわ跳ねるわで大変で、なんか挙句の果てに弟のプレミで私の敷布団の上に、あ、もう思い出したくないかも。やめ。

 

 

 ・髭男の『Pretender』、グッバイって言ってからしぬほどべらべら喋るのむり。いいからさっさとあっちいけよ。

 

 

 ・学食から豚塩焼き肉丼が消えて唐揚げ親子丼になってしまって、胃がもたれて仕方なくて泣きたい気持ち一杯になりながらお昼の時間を過ごしています。頭痛にはなれっこだけど吐き気だけはいつまでたっても慣れなくてメンタルがよわよわになる。ヨーグルトの桃盛り沢山スペシャルウィークがあっという間に終わってしまって、元に戻っちゃった。まあ桃の前の謎の団子ウィークよりは全然ましなんですけど。ヨーグルトの代わりを団子にやらせるって、正気の沙汰とは思えないですよね。

 

 

 ・清竜人の『痛いよ』、最近聞いたら歌詞も声も切実すぎて全然むりでむり。そんな歌い方しないでよ抱きしめてやるからこっちこいよ。

 

 

 ・おとなりの劇団さんの新作を観た。舞台美術が意味わからないくらい良かった。ザ・シアターのときもとても良かったのに今回はさらにもうなんか、意味わかんなかった。やばい。漢字の看板がたくさんぶら下がってたけど、終演後にサスでタイトルの四文字が一文字ずつ抜き出されて浮かび上がったのにも個人的に湧きました。美術の使い方、見目楽しくて機能性もあって良かったなぁ。ただ狭いなともちょっと思う面はあって、100分だと若干窮屈さは感じた。

 個人的に、カタルシスが足りなかったな、というのが真っ先に抱いた感想で、なぜだろうと考える内に、セリフに含みがほとんどなかったからなのではないか、という結論に至った。言葉としても言い方としても。それが悪いというわけではなく、ただ私の好みとしてはそういうのを求める性質がある。からだろうな。私がひねくれているからだろうけど、口から出てくる言葉の7,8割方が”真実”な人間っているの???と思ってしまう。同じ人間と思いたくない(みじめになるので)。だからあんまり、目の前のキャラクターを同じ生身の人間と思えずにキャラクターとして呑み込むしかなくて、温度感のようなもの、その変化をキャッチできなかった。と結論付けることにしました。(だからアオハルが大好きなんですよね。なんあれ。だいすきなんだよずっとな。ずっとうわぁぁってなりながら見てたけどラストの手芸部キャプテンであまりにもずるすぎて、あれ、ほんとに、かぎりなく現実のあおはるの温度だった、し、いや普通に全然ずるい、あれを締めにおけるセンスよ。客のみが「おまえだれだよ(ビジュアル的に)」となるのが最高。逆に”世界”に対する解像度がぐっとあがってた。センスだった。帰り道わざわざ河川敷寄って「やってんなぁぁぁぁ!」って叫ぶくらいには良かった。友達には笑われた。でもそいつ観てないから。観てたらおんなじことしてたから。)

 話を戻すと、うわぁいいなと思った部分としては、しっかり強度のある舞台だった、というとこですね。さめる瞬間が無かった。ほんとうにそれは、課題、でしかない、頑張っていきたい。

 

 

 

 

 <久しぶりの映画録>

 

・『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』

 二人の少女の、若さ特有の閉鎖的世界と、地球規模の侵略者問題が絡み合って進行する、前章後章で構成された作品。今思えばどちらかというと前章のほうが完成度が高かったような気もする。色々キャッチできるところがたくさんあった映画だったので時間としてはとてもコスパ良く、有意義でした。まあこの手の展開には「少女」だよね、とも思った。

 後章でいきなり恋愛色が強くなったなとはさすがに分かって、ほーおと思ってたけど、昔聞いた「性愛の軸と社会の軸は完全に直和分割である」という社会学のフレーズが咄嗟に思い起こされて結びついた。「たとえばロミオとジュリエットなんかも、彼らは恋に身をやつしたのではなく社会がクソだったから押し出されただけである。」と続くそれとのリンクを感じたのは、なんというか、映画内で社会の問題からはわりと少女たちは除外されている、ある程度蚊帳の外にいる、ような雰囲気を一貫して守り抜かれていたように思えて、社会が終わっていくにつれて少女たち側で恋愛色が強くなっていったのも意図的に描かれていたし、ん、なんか、これかぁと考えたりもした。

 思春期特有の”社会から除け者になっている感”と同居する、社会に真綿で首を絞められている感。が強くリンクしているような気がした。だからせめて個と個で繋がっていたい思いから性愛にleanするみたいな、理論としてもそういう理論でした。ただあまりにも”社会を知った気になって生きていく(しかない)少女たち”らしすぎてうわぁ手厳し(褒)と思ったのは冒頭に無理やり挟んだ直接的な性的用語をわざわざ含ませた強気な発言とか、突発的なキスとか、そのシーンが背景までやたら綺麗なこととか。気持ちの面で「すき」になった過程描写が(たぶん内実が無いから意図的なのだろうけど)蔑ろにされていた半面、身体性を伴う描写はきちんと(しっかり歪に)美化されていて、そうなんだよなー、と思う気持ちもありました。少女あるあるですよね。搾取への薄い諦観と強がりによる自己防衛。若干身に覚えがあってだいぶ気まずかった。

 内容が斬新でちょっと特殊な分、登場人物の思想の一般化によって理解のしやすさを確保できていて見やすかったのも好きだったし、ネットミーム化されつつある人物像がたくさん出てきて面白かったです。一般化のここぞというタイミングでの利用の仕方、ほんとうにずっと会得したいと思っていても難しい。つり合いの取り方というか、嗅覚のようなものが秀でていてすごい。よかった。思う節があるとこもまあわりとあったけどお釣りは来るかも。ただ怖かったです!!!!音が大きかったです!!!!びっくりすると声が出ちゃう癖があるのでそれを必死で抑えてた結果ずっとびくびくしてた。隣のひとにさぞかし迷惑だったであろうことが今更身に沁みてきて恥ずかしくて耐えられないので次行く! いや長!
 

 

 

・『そして、バトンは渡された』

 母親(石原さとみ)が離婚と再婚を繰り返した結果、5人の親がいる永野芽郁のはなし。全親から愛されてまっすぐに育っていく柔らかくて優しいストーリー展開。

 最後のタイトル回収があまりにもあまりにもで笑ってしまった。みなまで言うなまじで。言わんでもわかるわ。家系ラーメンやないかい。

 全体的につっこみどころがマシマシな映像、人物設定だったけど、まあエンタメとしては見飽きなくてよかった。ファストフード的というか、役者のツラも良いしテーマが愛だし、単体で客を引っ張ってこれる役者が目白押しだったので、なんか特有の見やすさというか、贅沢だなという満足感はありました。面白かった。石原さとみがほんっっとうに美。観ながら10回くらい「かっっっっわ」って言ってた。『失恋ショコラティエ』の石原さとみ、あれが世の中の正解だと言い続けている人生だけど、あれから年齢を重ねた(変わらずお綺麗だけど)からこその良さが出ていてうわぁとなりました。あといいひとすぎるよ展に出れそうな人が何人か居た。幸せになってほしい。正直突っ込みどころはかなりあったけども。一切泣けはしないけども。

 

 

・『それでも夜は明ける』

 地位も家庭も持ち、音楽を嗜んで暮らす自由黒人ソロモン・ノーサップが騙されて南部に連れ去られ奴隷となり、壮絶な奴隷生活を綴った12年間の伝記をそのまま映像化した作品。

 ほんとうにすごい映画だった。純粋にカットがいいし構成がうまい。映像に迫力があるし、構図、引きの映像のつかいどころとその引き具合がめちゃめちゃ効果的。緑豊かな農園の中で、主人公が一本の木の枝に首をくくりつけられて放置されて、えずきながら足のつま先で必死に地面に触れ続けるさまを、ものすごい長回しで、主人公がはっきりみえないくらい引きの映像で農園全体を映し続けるシーンがえぐかった。かと思えば時折挟まれる黒人の顔や首元に限りなく接近して撮られているアップのカットとかもあって、なんというかあぁ、人間だ、という感じがスクリーンを通して伝わってきてぎゅっとなってしまった。つらい。

 内容としてもずっと惹きつけられてたので完封された感。でてくる人間全員が善悪両方の観点から魅力的。あんまり白人、黒人として分けて観れていなかったかもしれないけど、どの人物にも切り捨てきれない(愛を覚えてしまうというか、赦してしまう)面、看過できない面、見過ごせない赦せない面があったし、「あぁそれでもこいつはこういう人間なんだな」、が無限にあった。良い意味でも悪い意味でも。

 感情面から見ても状況面から考えてもそうする他ない局面にあったとき、もちろんそれを遂行することは本当に責められたものではないし、もちろんそうするという予想だって、当たり前にしていたし、私だって絶対にそうしてしまうのに、それでもそれが現実(そしてこの場合は『虚構』でもあるのでよりたちが悪い)として、映像として画面にそれが映ったときのこちら側の絶望がすごくて、そんな自分に対するやるせなさもすごかった。いや、違うだろ、っていう。

 道徳的なことももちろん感じたけど、書くだけ野暮なので割愛。ただなんか、個人の持つ人間性、というのはどこからどこまでが個人に依るものなのだろうと思わされた。

 ラストもよかった。

 

 

・『アメリ』

 めっちゃいい。まじでいい。小気味いい。洋画の良さ全開。仏語の授業で途中まで見てたやつを改めて最後まで自分で見たけど、ほんとに耳に良くて仏語モチベがとてもあがった。良い。

 

 

・『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』

 イングランド女王エリザベス一世とスコットランド女王メアリー・スチュアートの二人を主軸に英国の史実を描いた歴史映画。

 とてもよかった。映画として秀逸。史実において二人は継承争いこそするものの実際に対面したことはないから、これ映画だとどうなるんだろう、そこはさすがに改変するのだろうか、と思いながら見たけど、史実通りの手紙のやりとりを中心に心の中で思って語り掛けるていをとっていてさすがだった。実際の地理的距離の遠さと映像でカットをつなげるが故の心理的距離の近さの兼ね合いがいい味を出していて、二人の対照的な点と共通項とが見えやすくて良い。映画っていいなと思った。

 終盤のシーンの、ヴェールがたくさん垂れてる鏡の迷宮みたいなとこ(語彙力とは。)での対話、秘密の対面はほんとに泣けるかと思った。途中まではおいおいエリザベスと思ってたけどここのシーンで完全にエリザベスーーーーー泣泣泣ってなりました。私は何があっても貴女を愛すよ、、、

 

 

・『鹿の王 ユナと約束の旅』

 私は小説派。なにが悪いというわけではない。仕方ないと思う。小説派。

 

 

・『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』

 おもろすぎ。これぞ技術。才能の結晶によるねじ伏せ。目が楽しかったしめっちゃ笑って超ストレス発散になりました。どーなっとん。声優でごりごりに固めたのも吉ってた気がする。とにかくライトな意味でのエンタメに全振りな映画。超よかったと思います。なんも考えたくないときにまた見たい。

 

 

・『星を追う子ども』

 新海誠のなかでもだいぶ、だいぶジブリ色が強いなと思った。ただやっぱり私はこのひとの創る作品は好き。ずっと描きたいものが揺るがない感じ。こまかな善し悪しをねじ伏せうる、しっかりとした熱量のようなものがあるような気がする。(たぶん私が好みなだけ)。主人公の女の子の声優さんがとても好きだった。芯がある。ただ、少女性を必要として少女をキャラクターに選択したのであれば、ちょっと捨てちゃってない?とも思った。悪い意味で言語化がうますぎる。あれは大人。

 

 

 

 これ以外にもいくつか観終えてはいるのですがいまぱっと思い出せないのでここらで終えます。

 直近だと『ちょっと思い出しただけ』をバスの中でちまちまと観進めています。終わらないぜ。何個か前のブログで見始めた『ヒーローズ』も実はまだ見終わってません。推しが死んだんですよね。萎えました。

 

 

 美容室に毛先を整えてもらいに行った。伸ばしてるので1㎝だけで、とオーダーしたら3㎝切られました。めそめそしながら、でもあんまり、ぱっとみわかんないよね、なんて自分を奮い立たせていたら前述の劇を一緒に見に行った元主宰に「え短www」と笑われた。ころしてやろうと思っている。

 

 

 期末テストが迫ってきている。