瞑想とは意識すること、見守ること、今ここにいることだ。
私は今椅子に座りながらこれを書いている。のであれば、太ももと椅子が触れている感覚を意識すること、いくら私でも呼吸する権利はあるので鼻から息が出たり入ったりしているのを意識すること、スマートフォンの上の指の動きを意識すること、あとイヤフォンでヒーリングミュージックを垂れ流しにしているのでそれに聴き入り音を意識すること…これが瞑想になる。
別に「◯◯を意識しなければならない」なんてことはない。ゴータマ・ブッダとかいう2500年前の陰キャのせいで「呼吸を意識しなければならない」とか「自分の思考を意識しなければならない」とか「歩いている時の足の裏の感覚を意識していなければならない」などという凝り固まった観念が広まってしまったが、断じて一つのことに絞る必要はない。一つに絞った方がやりやすいという人はそうしたらいいし、そうでない人は日常の局面で意識する対象を使い分けたらいい。
私が今スマートフォンを指で操作しているのだってそうだ。指の動きを意識していればこんな作業はなんてことはないしむしろスムーズに筆が(指だけど)進む。これがもしブッダの教えに従ったものならば、鼻から出たり入ったりする息を意識しながらこの作業をしなければならない。難易度高杉内。とはいえそういった「あえて高難易度に挑戦して意識を鋭くする」というテクニックも存在する。どうしても知りたいという方は112あるそういったテクニックの中の呼吸にまつわるものを集めた初巻のこれをどうぞ。
とは言ったものの、今まで書いてきたようにこの瞑想が起こるかどうかも私たちの手の内にはなく、それが起こる時には起こる。だから自由意志を持っていると錯覚している私たち目線からすれば、まあせいぜい「思い出した時に意識する」くらいのものだ。正確に言えば「神によって今この瞬間が思い出された時にこの瞬間が意識される」だ。だから神を祝って、呪って、ただただ楽しんで生きるのみである。
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自分を不自由にしていることに気づき、新しい選択を自由に選ぶための本
大多数の人間は毎日毎日、やることも考えることも同じことをくり返す。スマホが鳴ると、いつも同じやり方で画面を見る。毎日、出社すると同じやり方で猫背になりPCに向かう。通勤ルートはきっちり同じ道……etc.。 習慣は必要だが、それがふさわしくない場面でも「自動的に」対処してしまい、それが自分の力や創造性を制限し、痛みやダメージを引き起こす。
本書は、意識的(マインドフル)になることで、「自動操縦」をやめて新しい選択ができるよう手助けする本である。アレクサンダー・テクニークとは単なる体の使い方ではないことを知っていただきたい。
