タイプによるが、世間的な成功を味わってこの道に入る人もいる。そうして瞑想を始めるわけだが、その道中に幸せがあるばかりではない。



OSHOも「生は川だ。それに逆らわなければあなたが惨めになることはない」とは言っているが、どうしても私たちは逆らわずにはいられない。なぜかといえば、社会にそうするよう教え込まれてきて体にそれが染み付いているからだ。確かに瞑想を始めれば人生はスムーズに行き出すが、その川を流れる中で、社会によって後付けされた余分な観念が川の中の硬い岩などにぶつかってこそぎ落とされる。



私はこの10年そのように瞑想を灯りとして生きてきたわけだが、綺麗にそういった余分な観念、偏った観念、思い込みがことごとく落とされた。神はどうやらお上手なようで、私たちを本来の姿に戻すために人生で起こる出来事を綿密にデザインしているのだ。確かに苦しむには苦しむのだが、瞑想を軸として生きていると本当にその余分な観念「だけ」がこそぎ落とされるよう人生の中でハプニングが起こる。私の経験上ではその思い込みが強ければ強いだけ人生で起きるハプニングは強烈になるようだ。



が、ずっと苦しみが続くわけではなく、そうして余分な観念がこそぎ落とされるとそれだけ神もその肉体を通して仕事をしやすくなる。余計な重りが取れて川を流れやすくなったというわけだ。だからさっさと川に飛び込んで流されるに越したことはない。川で流れている人を見ていたり、川で自分の力で泳ごうとするよりも、川に何もかも任せて流されるのだ。



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https://www.osho.com/ja/read/featured-articles/emotional-ecology/when-the-dream-is-over

夢が終わるとき

 私が達成したことは何でも霧の中に消えてしまうようです。まるで煙のように感じます。その煙を貫いて、とてつもない悲しみがわいてきます。まるでベルベットに包まれた鋭い岩のようにです。Osho、これに終わりがあるのでしょうか、それとも終わりなどないのでしょうか?

 多くの人があなたに嫉妬してもおかしくはない。すべては失敗だと知ることは新たな旅の始まりだ。

 「私が達成したことは何でも霧の中に消えてしまう」と知ることは、失われないものを求める新たな探求の始まりだ。

 世間とそのすべての成功に幻滅したとき、人は初めて精神的になる。

 あなたはまだそれに気づいていないかもしれないが、悲しみのカーテンの後ろでは新たな歓びがわき起こってきている。新たな探求、新たな冒険、新たな生、新たな在り方の歓びが。

 「これに終わりがあるのでしょうか、それとも終わりなどないのでしょうか?」

 心(マインド)には始まりがあり、心には終わりがある。自我(エゴ)には始まりがあり、自我には終わりがある。しかし、あなたには始まりがなく、あなたには終わりがない。そして存在の神秘に始まりはなく、あなたには終わりがない。

 それは進行中のプロセスだ。神秘につぐ神秘があなたを待っている。だからわくわくするし、歓喜を感じる。

 歓喜を感じなさい。生に終わりはなく、ひとつの頂に達したとたんに、別の頂が目の前に開けて、あなたの挑戦を待っている。もっと高い頂、もっと険しい登り、もっと危険な領域が。その別の頂に到達すると、もっと別の頂が見える。頂につぐ頂が。それは終わりない生命のヒマラヤ山脈だ。

 ちょっと考えてみなさい。到達はしたが、先になにもない地点のことを。あなたはうんざりしてしまうだろう。あなたがうんざりしてしまうことは確かだ! そして生は倦怠ではなく、それはダンスだ。生は倦怠ではなく、それは歓喜、溢れる喜びだ。

 多くのことが起こってくるし、つねに多くのまだ起こっていないことがある。神秘はけっして終わらない、それに終わりはない。だからそれは神秘と呼ばれる、知ることさえできないのだから。知識にはなりえないからこそ、それは神秘と呼ばれる。そのなかのなにかは永遠につかまえることができない。それこそが生の歓びのすべてだ。生の大いなる素晴らしさとは、それがあなたを永遠に活動させ、探求させ、探索させるということだ。生は探求、生は冒険だ。

 歓喜が私たちの本性だ。歓びを感じないでいるなんてばかげている。歓びを感じることは自然なこと、当然のことだ。歓びを感じるのに努力はいらないが、惨めになるのには大変な努力がいる。

 だからあなたはそんなに疲れて見える。というのも、惨めでいることは本当にきつい仕事だからだ。それを維持することはとても難しい。なぜなら、あなたは自然に反することをやっているからだ。あなたは流れに逆らっている。それが惨めさの正体だ。

 では至福とはなにか? それは川とともに流れることだ。完全に一体となって、あなたと川の区別はなくなってしまう。あなたは川だ。難しいわけがない。川とともに流れるなら泳がなくてもいい。川に浮かんでいるだけで、川があなたを海へと連れていってくれる。川はすでに海へと向かっている。

 生は川だ。それに逆らわなければ、あなたが惨めになることはない。

Osho, The Book of Wisdom,  Talk #4 

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