画像の引用は「著 OSHO『草はひとりでに生える』」から。前回の記事から引き続いてそのまま続きの部分を貼る。











にしてもこの尹生という名前の男…私そっくりではないか。私が大乘住職のもとを訪れたのがもう10年以上前になるが、当時はよく「どうしたら光明を得られますか?」とか「効率よく悟りを得るためにはどうしたらよいでしょう?」とか「1日何時間無思考でいられたら悟りが起こるのでしょう?」とか…そんなことばかり聞いていた。そうだ…思い返せば大乘住職のホームページに「3ヶ月瞑想したらこうなりました」みたいなことが書いてあって、それを読んだ私は「そうか! 3ヶ月瞑想するだけでそういう境地に達せるんだ!」と思い込みこういった質問を立て続けに聞いていた記憶がある。だから私ではなく大乘住職が悪い。



尹生のように「見込みのある男」だと見られていたのかどうかは定かではないが、当時まだ20歳くらいのガキだったとはいえ大乘住職も何度も何度もそんなことばかり聞かれていたので「さすがに?」と言わんばかりのメールを送ってきたことがある。既にこのブログに貼り付けたことがある記憶はあるのだが、全文貼ったかどうかは定かではないし尹生や私のような悪質な人間を生み出さないためにも戒めとして貼り付けておこう。許して…許してクレメンス🙏



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何度も同じ文言を書いた記憶がありますが・・

瞑想を楽しまなくてはいけない・・ということはありません。

やりたくなったらやれば良いだけのことです。

瞑想のやり方や、その道を歩む時にどんな風景がやって来る可能性があるということは、体験上、少しはお話しできますが、
「瞑想への意欲」をどのように維持したら良いのか・・等ということについてはお答えできません。

瞑想を通じて、真理を探究したいという意欲があるということならば何かをお伝えできるかも知れませんが、
もしそれが失せてしまうなら・・それもすべてOKなことです。
誰も真理を求めるべきだと強要する人は居ません、すべては自由意志です。

今まで、色々と述べてきたかも知れませんが、表現が違ってはいても、ほんのわずかなことだけを強調してきました。
瞑想のミチにおいて大切なのは、信頼、リラックス、少しの忍耐です。
そして、観照においては徹底した「観ること」・・!

マインドは不安になったり、余計なことを言い続ける・・!何回も何回もお話ししました。
どんな状況でも、たとえマインドに巻き込まれることが多くても、それを続けるガッツが必要だともお話ししました。
そして、このミチは困難であり、なんの保証もないということも述べたと思います。
光明を保証するモノは何もないし、一瞥が何時くるのかなどという答えは誰も持っていません。
(世間には、大丈夫、大丈夫、それはすぐにやってくる・・とマインドを慰めてくれる人は沢山いますが、何の役にも立たないことは言わずもがなです・・)
大体・・これは簡単なことでは無いのです!!
誰かに聞いて、「ああそうだった」と判るようなシロモノではないのです・・これもお話ししたつもりですが・・。
一人一人、それぞれの探求者は状況や環境、過去世からの経緯等々・・すべてが違っている・・当然のことです。

ワタシは3ヶ月たてば、一瞥が訪れるはずだ・・と言ったでしょうか?
もしそう聞いていたのならそれは間違いです!!
あくまで、これは小生のOshoから教わった瞑想法を始めてからの体験をお話ししたものであり、
しかも・・これもお話ししたようにそれ以前の長い長い、求めては失い、求めては失い・・という探求の旅があったのです。


今まで返信したり、実際にお会いしてお話ししたことが、小生のお伝えできる全てです。
本当に心して、意識を持ってそれらを反芻するならば、何かの手助けにはなるかとは思います。
しかし、あくまで瞑想はその探求者本人の歩みがすべてです。
本当に「それ」を求める・・宇宙が歩み寄る、真理が歩み寄る・・これもお話ししました。

マインドはいつも疑問を作り続け、不満を言い、不安を作り続けています・・これが彼らの仕事です!
それらひとつひとつの相手をしてもなんの意味もないのです。

瞑想を続けたいのなら続ける
意欲が湧かないのなら止める
少しでも始めたくなったら始め、止めたくなったら止める・・。
あなたは自由です、一つの態度に固執する必要はありません。

ただ、それだけのことです。ことは途方もなくシンプルです。
どのような状況でも、それが今の有り様であり、存在がそのようにしているだけのことです。

なぜ、「すべてはうまくいっている」と言うのか・・
「自分のことを知らないくせに何故そんなことを言えるのか?」ということですね・・。
「信頼」というものを知らない方にお話ししても無駄かも知れませんが一応述べます。

存在は、うまくいっていないものを知らないからです。
うまくいく、いかない・・マインドは両方あると思っています。
善悪、好悪・・マインドから見た価値観からみれば当然でしょうが、マインドさんを慰めようという話をしているのではないのです。
幻、夢を見て、その価値観に振り回されているのですから、当然マインドさんは「うまくいっていない」のでしょう・・。

しかし、この全存在は「すべてうまくいっている」のです。
なにが起ころうが、「すべてはうまくいっている」のです。
ましてや瞑想が始まっているのですよ!うまくいっているに決まっているじゃないですか・・!!!

「私はちゃんと道を進んでいるのでしょうか?
一瞥を得ることはできるのでしょうか?」

信頼があって、小生が何を言わんとしていたのかが理解できていたなら
この期に及んで、こんな質問は出てこないはずだと感じています。
もし、「そうです、ちゃんと道を進んでいます。」と答えれば「ああ、そうなのか」と思えるのですか?
また、「そうです、必ず一瞥は得られる」と言えば、それで満足するのでしょうか?
モチロン、一時マインドは慰められ、一時的な安心感を持つかも知れませんが、そんなものは直ぐに消えてしまいます。
そしてまた不安がやってきて、また同じことを尋ねる・・ということになるでしょう。
そういう不毛な繰り返しから脱出すること・・これが瞑想です。

瞑想を楽しめていたかどうか・・?
何度もお答えしてきたつもりです。
それこそ、楽しくて楽しくて仕様がなかったと・・!

瞑想を始めれば、必ず一瞥を得る時が来て、さらに光明を得ます!
しかし、その時期は誰にも判らない・・明日なのか、十年後なのか、はたまた来生なのか!!
手に入れたいという飽くなき欲望を離れて、そんなことをすっかり忘れた頃にやってくるという話もよく聞きます。
ひとつ言えること・・ただ人は待たなければならない・・!

もし、さらにもっと多くの答えを望むのなら、他の誰かに聞いて下さい。
世間には、答えたくて答えたくてしょうがない多くの人たちがいるはずですから喜んで答えてくれるでしょう・・!

もうこのへんで止めておきます。
何度も同じことを書くのは、もう止めます。

今後、同じようなご質問でしたら返信いたしません。
以前、または、このメールの中に大抵の答えはあります。

機が熟し、またお会いできる時期がきたら良いと感じています。

合掌 Daijyo

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24時間無思考でいればとか、悟りの条件だとか、忍耐だとかいうものについて書かれたメールもあった。「24時間無思考であれば悟りが起こる」的なニュアンスのことが書いてあったのはOSHOの本だったので、これに関しても私ではなくOSHOが悪い。こんな風に他人のせいにしてばかりの人間なんてのは間違いなく「見込みもなければ救いようもない男」だろう。いやしかし…親鸞によれば阿弥陀様はそんな救いようもない人間こそ救ってくれると言っている。救って…救ってクレメンス🙏



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マインドが「これから先どれだけこの静けさの中にいればいいのか・・」とつぶやいていることを観照できますか?

そして、不安になっているマインドを観照できるでしょうか?
24時間無思考でいなければ・・と言っているマインド・・これも観ることができるでしょう!
(そもそも、「・・でなければならない・・」云々ということは、瞑想の中にはないのです、すべては自然に自ずから起きること・・です。)

不安になっているのも、疑問を抱いているのも「マインド」であること・・
そのすべてを観る・・というものが観照です!

マインドが主人になっている状態、これがご承知の通り、自我(エゴ)と言われるものです。
瞑想の中でマインドが消えていく・・ということはエゴが消えていくということです。
今まで自分だと思っていたものが「消えてしまう」という恐怖、不安・・!
ミチの過程では、必ずと言って良いほど、多くの人にこのようなことが起こります。

これがあまりにもその人にとって大きすぎる場合、探求そのものを止めてしまうこともあるようです。
Oshoはこの種類の質問に「・・であるから、多くの人にとって探求のミチにおいてはマスターの臨在が必要になってくるのだ」と言っています。

光明を得たマスター・・、自分を導いてくれる師を見つけるのは、今の時代そんなにムズカシイ問題ではないように思えます。
現に◯◯さんは、色々なマスターのことをご存じのご様子です。
要は弟子になる自分次第だと思うのです・・、全身全霊で求めていれば自分の内側にある「仏性」が導いてくれます!
声なき声が聞こえるでしょう!

また、今の世では必ずしも肉体を持ったマスターである必要もないように思えるのです。
地球上では多くの人たちが光明を得ています・・!宇宙や地球のエナジー、振動が真理を得やすいように変化してきているのを感じます。
じっくりと、自らを信頼し、少し忍耐強くミチを歩むならば、必ず「そのもの」はやってくるでしょう・・!!

悟りの条件などというものはありません、すでに私たちは光明とともに生きています。
生まれながらの本性が「光明」なのです!すでに私たちは悟っています「それそのもの」なのです。
ただ少し夢を見ているだけ・・眠っているだけ・・です。

目が覚めたら「ああ、起きた〜!よく寝た〜!」と言うでしょう。
起きたら「起きた」と無条件で分かる・・!
ということです・・。


ところで、◯◯さんはどちらにお住まいですか?
Oshoの瞑想センターに行くことができるのなら、そこが開催する瞑想会などに参加するのも良いと思いますよ!
Oshoは、ストレスや緊張の多い現代人にマッチした瞑想法を作ってくれました。フィットするかも知れません。

合掌 Daijyo

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時系列としては2つ目のメールがまだ大乘住職と直接会う前の2012年5月4日の物で、1つ目のメールが2012年8月17日の物らしい。3ヶ月前はあんなに優しかったのに…きびちい。




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