このラメッシの文章を読んでいたら謎の頭痛がした。ん…なんだこの記憶は…うっ頭が…
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「私はちゃんと道を進んでいるのでしょうか?
一瞥を得ることはできるのでしょうか?」
信頼があって、小生が何を言わんとしていたのかが理解できていたなら
この期に及んで、こんな質問は出てこないはずだと感じています。
もし、「そうです、ちゃんと道を進んでいます。」と答えれば「ああ、そうなのか」と思えるのですか?
また、「そうです、必ず一瞥は得られる」と言えば、それで満足するのでしょうか?
モチロン、一時マインドは慰められ、一時的な安心感を持つかも知れませんが、そんなものは直ぐに消えてしまいます。
そしてまた不安がやってきて、また同じことを尋ねる・・ということになるでしょう。
そういう不毛な繰り返しから脱出すること・・これが瞑想です。
瞑想を楽しめていたかどうか・・?
何度もお答えしてきたつもりです。
それこそ、楽しくて楽しくて仕様がなかったと・・!
瞑想を始めれば、必ず一瞥を得る時が来て、さらに光明を得ます!
しかし、その時期は誰にも判らない・・明日なのか、十年後なのか、はたまた来生なのか!!
手に入れたいという飽くなき欲望を離れて、そんなことをすっかり忘れた頃にやってくるという話もよく聞きます。
ひとつ言えること・・ただ人は待たなければならない・・!
もし、さらにもっと多くの答えを望むのなら、他の誰かに聞いて下さい。
世間には、答えたくて答えたくてしょうがない多くの人たちがいるはずですから喜んで答えてくれるでしょう・・!
もうこのへんで止めておきます。
何度も同じことを書くのは、もう止めます。
今後、同じようなご質問でしたら返信いたしません。
以前、または、このメールの中に大抵の答えはあります。
機が熟し、またお会いできる時期がきたら良いと感じています。
合掌 Daijyo
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頭痛の原因はわからない。が、大乘住職がいたって普通の人間であるというのは確かだ。彼を知って10年以上になるが、彼に特別なことを感じたことは一度もない。じゃあなんで彼の話をそんなに聴いているのかといえば…まあなんとなくだ。
寺の住職であり、ミュージシャンであり、自転車に乗るのが好きであり、瞑想が好きであり、結婚したことを後悔しており、子供ができた時の喜びは産まれた瞬間がピークだったと語っている普通の人間だ。普通の人間と違うのは反政府で反医療なところくらいだろう。彼のツイッターアカウントを見るとよくわかる。世間の動向、この世界の実態というのがどういうものなのかを知る手助けにはなるかもしれない。
https://twitter.com/veetdaijyo
ただ彼には理解がある。「べき」や「ねばならない」というものがない。とはいえ好き嫌いはあるので、ただその肉体の好みに沿って自然に生きているだけだ。
私自身の肉体を観察してみても好みというのが非常にはっきりとしている。知性のない人間が嫌いで、自己顕示欲の強い人間が嫌いで、自分を大きく見せようとする奴が嫌いだ。つまり人類の99.9%が嫌いだ。なんて生きづらそうな奴なんだろう。その辺を歩いていても私は誰とも目を合わさず足元ばかり見ている。が、個人と接する時、特に相手に知性を感じると途端に愛情深くなる。だからそういった人には刹那の出会いでもかなり好かれる。
失礼な態度をとって軋轢が生まれるのも嫌なので基本的に腰は低い。「こんにちは」「すみません」「ありがとうございます」は光の速さで口から出てくる。だから基本的に苦労はしない。が、嫌われる人には嫌われているのが明らかに伝わってくる。そんな時は上の三つの言葉を光の速さで口から出して目も合わさず退散する。
この全てに社会の教えや「べき」「ねばならない」は絡んでいない。世間ではこうすべきというのはあるかもしれないが、私は自分の肉体の好みに忠実に動いている。とはいえ好き勝手やって軋轢を生むのもそれは「嫌い」に入るので、結局のところ「好き」に生きているということになる。
私はこの生き方でも毎日非常にスムーズに生きている。が、別に瞑想的な生き方をしたから周囲に好かれるなんてことはない。むしろ瞑想する前の方が友人はいたし好かれていたはずだ。というかそう思いたい。そもそも嫌われていたなんて思いたくない。
好かれようが嫌われようが、「そうそうあなたみたいな人は俺のこと好きになるんだよ」「あーてめえみたいな非知性的な肉体は俺のこと嫌いになるんだよ」といった感じで、「そりゃそうなるよな」と起こる出来事にただ納得している。だからその反応に対していちいち「こうすべきだった」という思考が湧き起こらない。当然そういった否定的な考え事に埋没している時とそうでない時ではその肉体の行動というのも変化する。私はそういった考え事に埋没せずに行動していることが多いので、それだけ人生もスムーズになる。
このブログだってそうだ。精神世界のブログは数多あるが、その多くが大衆に愛されるようしっかり気を遣って書かれている。それゆえ大衆に愛されるので、それだけそういったものは商業化しやすい。が、私は失礼なことにそういった知性のない大衆が嫌いなので、そういった人に向けた言葉を書くことができない。当然このブログが金銭となることもないだろう。損な役回りである。
が、それはそれで神も不親切じゃないというか、「あー貴様は本当にかわいそうな奴やな。そういう風にプログラムしたのはワイやから、貴様は貴様で別のやり方で面倒見てやるよ」といったような感じでしっかり面倒を見てくれている。これは私の一面的な部分であるが、恐らく全人類に様々なプログラムはされていれど全ての人がこのように面倒を見てくれるよう設定されているはずだ。でなければそもそもこの世界の維持が不可能なはずだからである。とはいえそれは神が原初に設定した生命の鋳型通り、最初のプログラミング通りに生きた場合に限ってであり、その後に設定された社会のプログラミング通りに生きてしまえばそれだけ一個体の生命が生きていくのも苦しくなる。というのが現在の地球のありようであろう。
とはいえこの地球をどうこうしたいという願望が湧くはずもない。どうなろうがそれは神がそういう脚本を書いただけなんだからまあしゃあないやろというのが私の感想である。不幸な惑星をどうにかしたいと願うようプログラムされた肉体は奮起して改善に向かうよう行動するだろうし、私のような肉体はさほどそういったものに興味が湧かないようプログラムされている。が、個人的な好みはあるので、今までの私のようにお金や健康や自殺願望で苦しんでいる人や知性的な人には個人的に手を差し伸べるという算段である。「算段」で何かうまいことを言おうと思ったが何も出てこない…あああああ!!!(発狂エンド)

