教えの基本




よく非知性的な非二元信者が「全てはただ起こっている。だからどんな探求もバカげているし努力も意味がない。なぜならどんな因果関係もなくそれらは起きているだけなのだから」と言う。



そんな非二元信者に私はひたすら腹パンしながら尋ねたい。「因果!(ゴスッ)関係が!(ゴスッ)ないというなら!(ゴスッ)この腹パンと痛みも関係ないだろ!(ゴスッ)」。そうして「痛いのでやめてください」と相手が因果を立証するまで私は殴り続ける(こわ)。



瞑想を続けていくと「私という分離感覚」「個人的行為者感覚」「深刻さ」というものが減少していく。これは私自身も経験したし他人から聞いてもどうやらそうらしい。この瞑想が起こるということ自体に因果はなく、ただ源泉からそういう出来事のエネルギーが湧いているだけなのではあるが、その表面で「瞑想したから◯◯になった」ということは観測される。これは「その辺の雑草を食べたからお腹を壊した」という因果と同じだ。非二元信者はずっと「いいや、雑草を食べたことと腹を下したことには関係がない。それらは後から頭で関連づけられただけである。だから私は雑草を食べ続けるのだ」とでも言い続けてヤギになってしまえばいい🐐




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