いよいよこのブログはAmazonのレビューをコピペするほどまでに落ちぶれた。とはいえ秀逸なレビューである、全人類のためになるに違いない。
にしても今回の強盗事件は特に「やらざるを得なかった感」が子供たちの行動に強く表れていて、何が問題なのかを社会に問う点においては神がうまくデザインした事件であるように思う。怪我人もいなかったみたいだしね。まあ欲を言えばこの子たちがどういう環境で育ったのか、通っていた学校での立ち位置がどうであったか、そして両親の能力や性格がいかなるものであったかなどがメディアによって究明されれば一番ではある。
────────────────────
5つ星のうち5.0Amazonで購入
自由意志も行為者も責任も、社会的虚構である。2022年7月30日に日本でレビュー済み
人が人を裁くということ (岩波新書) 小坂井敏晶P141
人間行動は社会状況に強く影響される。かといって外因によって完全に決定されるわけではない。人格によっても行為は左右されるから各人の自由はある。したがって責任を負う必要もある。こう考えればよいのか。
しかし、人格という内的要因も元を質せば、親から受けた遺伝形質に、家庭教育や学校などの社会影響が作用して形成される。我々は結局、外来要素の沈殿物だ。私は一つの受精卵にすぎなかった。父と母の肉体の一部が結合して受精卵ができ、それに外界の物質・情報が加わってできたのが私だ。したがって、私が取る行動の原因分析を続ければ、行動の原因や根拠は最終的に私の内部に定立できなくなる。
私の生まれながらの形質や幼児体験が、私の性格を作り、行動を規定するなら、私の行為の原因は私自身に留まらず、外部にすり抜ける。遺伝形質と家庭教育が私の行動を決めるならば、犯罪を犯しても、そのような遺伝形質を伝え、そのような教育をした両親が責められるべきではないのか。どうして私に責任が発生するのか。もちろん、この論理は両親にも当てはまる。彼らにも、またその両親にも責任は負えない。この議論からわかるように、各人に固有の肉体的・精神的性質に行動を帰属させても、主体的責任は導けない。
P156
病気や怪我が原因で車イス生活を余儀なくされる人に対して、歩けないのは当人が悪い、自己責任だという暴論を我々は認めない。しかし行為の責任も同じ論理に依っている。両親から受け継いだ遺伝形質に、家庭教育や学校教育など後天的な影響が加わって人格ができる。そしてその人格が、その時々の社会条件に応じて行為を生む。だから善行であれ悪行であれ、行為の原因は当人をすり抜ける。悪人を処罰するということは、身体障害者に対して、それは自業自得だと突き放すのと変わりない。実は我々は、このような恐ろしいことをしているのだ。しかし、自由意志という虚構のおかげで、この論理構造が隠蔽される。
P159
自由だから責任が発生するのではない。逆に、我々は責任者を見つけなければならないから、つまり、事件のけじめをつける必要があるから、行為者が自由であり、意志によって行為がなされたと社会が宣言するのである。言い換えるならば、自由意志は、責任のための必要条件ではなく、逆に因果論的な発想で責任を把握する結果、論理的に要請される社会的虚構に他ならない。
以上のように、小坂井敏晶は書いています。そして、私たちの人生の生き方としては、「意識は語る――ラメッシ・バルセカールとの対話」で、ラメッシが語っているようになります。
実際には行為者はいないが、社会上は、みな行為者であると、ラメッシ・バルセカールは言っています。社会には行為者はいます。
意識は語る――ラメッシ・バルセカールとの対話 p378
あなたが「私はどんな態度を育てるべきか?」と尋ねる瞬間に、その元はまだ個人的行為者です。実際にはどんな行為者もいないことを理解して、そして、まるで自分が行為者であるかのように人生で行為し続ければ、そのときには適切な慈悲の態度が育つのです。つまり、人生において正しく適切だと自分が思うことをやりながら、他人に関しては適切な寛容の態度が育ち、自分に関してもふさわしい態度が育ちます。言い換えるなら、自分自身に対しては、最高の行動規範をもち、他人に対しては低い基準を受け入れるということです。「私はできるかぎりの愛と慈悲をもって行動しなければならない。でも他人はこの理解をもっていないかもしれないので、どんな行為が起こっても彼らの行為ではない」。こういった態度をもてば、寛容が育ちます。
意識は語る――ラメッシ・バルセカールとの対話 p579
「まるで」選択があるかのように生きる
【質問者】 現象は幻想であるという考え方全体は、ある種の罠となることもありえませんか?
【ラメッシ】 はい。それゆえ人生においては、自分は行為者でないと知りながら、まるで自分が行為者であるかのように生きなければならないということです。人間は虚構によって生きています。たとえば人間は、太陽が静止していて、運動しているのは地球だということを知っていますが、それにもかかわらず、日常生活では太陽が昇っては沈むという虚構を受け入れています。
ですからその理解は、これは幻想で、人は自由意志をもっていないというものですが、しかし人生では、あなたはまるで自由意志があるかのように行動しなければならないのです。
────────────────────
