天気が良い。風は強いが空は広く晴れ渡っている。し、ちょうど電動自転車のバッテリーも満タンだ。ということで近所の(片道20kmくらい)パワーストーン屋に向かう。



道中も快適である。やはり空は綺麗だし私の好きな野良猫がいたり桜もよく咲いている。


 

そしてパワーストーン屋につく。と、そこには私が欲していた石がたくさんあった。大体のものはヤフオクで手に入るが、どれを見ても相場をだいぶ下回る値段である。ということで欲しいものは全部買った。



さて、私に引き寄せの法則が働いたのだろうか? 私はある特定の石が手に入るようわざわざ意図して願い、家を出る前に特定の石をイメージし、「まさに自分が既にそれを手に入れたかのように」振る舞っただろうか?



そんなことは全くしていない。私はチャリに乗りたくなったから乗り、長い距離を走りたくなったから走り、「なんかパワーストーン屋行きてえわ」って思ったからパワーストーン屋に向かった。



欲しい石を手に入れた後から振り返ってみると「私が願ったから、私がその思考を発生させたから私の欲しい石が手に入ったに違いない」と思ってしまう。が、私はそういった思考を発生させようとわざわざ意図したわけではなく、その石を手に入れようと意図することなく「この石いいなぁ」と例のごとくパワーストーンの図鑑を眺めていたりしただけだ。「あれが欲しいなぁ」という思考がやってきて、パワーストーン屋に行きたいという衝動がやってきて、身体をその衝動のままに任せた、というのが正しい。



引き寄せの法則はまず意図することから始める。「私が欲しいものは◯◯で〜」…この時点で失敗は間違いない。この宇宙は私個人の願いになど興味はない。この肉体に与えられるべきものが与えられるだけで、それが思考を介して彼方からやって来るということはあるが、「それをわざわざ意図して願う」という時点で宇宙の流れから逸れている。宇宙からすれば「え? 必要なものは与えるよう俺が全部やってんだけど…何勝手なことしてくれてんの?」である。



だからもし唯一願いを叶えるのに失敗する方法を一つ教えろと言われたら「引き寄せの法則を学べ」と言うだろう。この宇宙で唯一の失敗方法に違いない。自分で意図して、自分で思考して、その思考が何らかのパワーを持っていてそのパワーが事態を勝手に好転させてくれると信じる…これ以上の失敗方法があるだろうか?



例えば引き寄せの法則を知っている野球選手になりたがっている少年がいるとしよう。その子が野球選手になりたいと思い、「僕は野球選手なんだ」と頭の中で何度もイメージし、自分が上手くなっているところを想像する。…で、何が起こるのだろうか? 何も起こりやしない。妄想力豊かな少年が誕生するだけだ。



逆に引き寄せの法則を知らない少年はどうするか。「野球選手になりたい」という思考がやってくる。親に「地元の野球チームに入りたい」とか「部活は野球部にする」とか言ったりする。そして野球の練習に出かけ…この先のことは宇宙が計らうだろう、自分の身体能力のなさを自覚したら野球をやめるだろうし、才を見出せば強豪校に行きたいという衝動がやってくるだろう。



「私」が願ったことが失敗するのは間違いない。何度も書いているようにそういったものに実体がないのだから、嘘を基準にすれば失敗するに決まっている。逆に「全体」「宇宙」が願ったことは叶えられるだろう。逆にそれしかないのだ、そいつが願ったのにそのエネルギーがどこかへ行って勝手に消滅するというのは物理法則に反していないだろうか。それは叶えられてしかるべきなのだ。



だから何も学ばないことである。であるからして、今まで学んできた教育や条件付けを忘れる瞑想が自分の肉体の本来の願望を叶えるのに役立つのだ。「自己をならうというは自己を忘るるなり。自己を忘るるというは万法に証せらるるなり」と道元も言っていたではないか。自己のない、人間以外の動植物は全て「願ったり叶ったり」の次元を生きているのだ。流れ星が流れている間に願いを3回繰り返すことも、核ミサイルが上から落ちてくる間に願いを3回繰り返すことにも変わりはない。どちらにせよそんなことをしている間に人生は終わってしまう、というだけのことだ。




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