エボジャパンという日本で開催されている格闘ゲームの大会を見ている。どうやら機材トラブルらしいのでその間に記事を書く。



瞑想、観照というテクニックは古来からある。前の記事でも書いたように少なくとも5000年前にはあった。私はOSHOの本でその存在を知ったが読んでもあまり理解できず、結局大乘住職を直接訪ねることでこの問題は解決した。



今日はその大乘住職が観照について書いた記事をコピペするだけだ。その中で彼を導いたインド人のアサンガ氏についても触れており、当時の彼とアサンガ氏の様子を詳しく知ることができる。読み物として面白いので(私だけかもしれないが)読んでみるといいかもしれない。「導いた」と言っても師と弟子という関係ではなく、アサンガ氏も、大乘住職も、私もみんなOSHOの弟子だ。その中で友人として「まあ聞かれるなら答えるよ?」という軽いスタンスで教えが伝達されているだけである。



機材トラブルが解消し試合が再開した。やはり格ゲーは最高だ(やったことないけど)。



────────────────────


下品(げぼん)想念物語

観照っていうのは

ココロやカラダ

外側や内側で起こっていること

それを 
観ていること

観続けていると
生活の中で

時々

もんのすご~~~い
真っ黒な想念のカタマリみたいのがやってくることもあるね

アサンガ師

井戸を掘るには
先ず表面にある石をどけ
土を掘り始める
そして色んな層が現れる

岩盤 泥 泥水
そろそろかなと思ったらまた岩盤や粘土
また泥水 泥・・

そんなこんなでようやくキレイな水にありつける

よくこんなことを言っていた

そうなんだ

よほどの善業というか積善というか
徳業というか高徳というか
上品(じょうぼん)というか

そういうヒトはそうじゃないかもしれないけど


まあ 
下品(げぼん)であるワタクシには想像するしかないけどね・・っはは

ともかく

アミダさんに救ってもらわないとどうにもならんという
ワタクシのようなもののココロには

やたらと
真っ黒で 澱んでいて
妖気のようなものに満ちた想念

そんなやつもやってくる
そんな時もあるのです

当然
カラダはココロの影だから
カラダも重〜〜くなってね

でも
瞑想というのはホントにありがたい

真っ黒なやつが来ようが 真っ白なやつが来ようが
それは自分から離れているもの

そう

その想念の雲たちは
やって来るもの 去ってゆくもの

そんな真実をあからさまにしてくれる

観ているもの 
観られているもの
それらは当然
別のものだね

自分は観ている
真っ黒でも 真っ白でも

その雲は観られている

自分は丘の上にいて
それをただ眺めている

そう

その雲たちは
丘の上の自分に
いっさい触れることができないでいる

そして

気付けば 
どこかに行ってしまう

気付けば 
どこかに消えてゆく

この真実を体験するだけでも

大いなる救いだ
 
大安心の住まいに寛ぐことができる

ありがたい ありがたい

なんまんだぶ なんまんだぶ



────────────────────




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ