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2022年に自殺した小中学生と高校生は512人(暫定値)となり、初めて500人を超えて統計のある1980年以来、過去最多になった。近年、子どもの自殺は増加傾向にあり、問題が深刻化している。厚生労働省警察庁のデータを元にまとめた統計で明らかになった。

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自分の親みたいになりたいと思うだろうか?



あなたの親は家に帰ったら何をしているだろうか。テレビを見たり、新聞を見たり、スマートフォンを見たり…そうやって時間を潰し、時間が過ぎるのを待ち、特定の時間になると寝る。



片方の親が家事を担当しているかもしれない。嫌々食事を作り、大きな音を立てて皿を置き、テレビを見たり音楽を聴いたりどうにかこうにか気を逸らしながら洗濯物を取り入れている。



そんな親のようになるためにあなたは生きているのか? 彼らもあなたと同じように学校に行かされ、あれをやれこれをやるなと躾けられ、どうにかこうにか大学を出て就職して、世間では尊敬される結婚を成し遂げた。で、その結末がその様だ。



かといって全ての親が尊敬に値しないと言っているのではない。99.9%がそうであると言っているだけで私は非常に楽観的なのである。だからまずは自分の親が尊敬に値するか見極めることだ。



もし尊敬に値する親ならば最終的な判断はあなたに任されるに違いない。当たり前だろう、あなたの命であってその命は親の所有物ではない。もちろん親が「私の経験上はこうだからこうした方がいいかもしれない」と口を挟むことはあるかもしれないが、尊敬に値するならばそれ以上の干渉はしてこないだろう。



尊敬に値しない親ならばあなたの生きる道を親が決める。こうすべき、この習い事、この学校、この偏差値、この友達、この趣味…。その時にどうするか? もちろん反発して全て突っぱねてもいいが、親の金がなければ生きて行くのが難しいのも事実だ。だからもし自分の知性が親の知性を上回っていると思うなら親を利用するといい。あなたの命を誰の手にも委ねてはいけない。かといって1人で生きて行くこともできない。ならば表面的にいい子の振りをして、妥協し、その最も内側の次元においては自由でいることだ。



ちなみにだが、学校に行っても行かなくてもその先にあるのは地獄だ。だからどの地獄がいいか選ぶといい。嫌々学校に行ってそのまま死んでもいいし、学校に行かずにどうにかこうにか生き延びてもいい。私は大学2年の頭から学校に行かなくなり、親に満額その年の学費を払わせ、その後休学でき得る最長期間の2年を休学し、その後中退した。そうやってなんだかんだ30歳になったわけだが、今もなぜか生きている。



私は小中高としっかり学校に行ったタイプだが、思い返せば不登校になった人たちというのは皆頭のいい人ばかりであった。まあ当たり前だろう、もし世界が頭のよい人の支配下にあるなら人類は幸福になっているはずであり、頭の悪い人が支配しているから人類が不幸になっていると考えるのは至極妥当なはずである。そんな頭の悪い人の世界に合わなくなった人たちというのが不登校児なのだから、その人たちが頭がいいというのも至極妥当な話である。



が、私は小中高と学校に行ったことを後悔していない。間違いなくその期間にしか得られない友人がおり、喜びがあるからだ。これらのものは20歳を超えてからどれだけの金を積んでも得ることができないと痛感する。逆に言えばその友人たち、その喜びには何十億円の価値があると言っても過言ではない。



だから選ぶことだ。誰の言うことも聞くべきではない。もちろんここに書いてあることもである。何が欲しいのか? 何がしたくないのか? 親に学校に行かされ、苦しめられ、死んでしまおうと思わされるくらいなら、その親を苦しめてやろうくらい思わないのか? ちなみに私は親が嫌いなので親を苦しめることには微塵も罪悪感を抱かなかった畜生生物である。



そんな畜生が今日も楽しく生きているのだ、何も気にする必要はない。何せ私は法を犯していないし、おおよそ自殺してしまう人というのはどうにか真っ白のままうまく生きようと思ってきたのだろう。そんな白さを携えて生きてきて何の喜びもなかったのならグレーに生きることを選んでみたらどうか。ただし私と同じようにうまくやることだ、善人面をし、人を騙し、自分が楽に生き延びることだけを考えるのだ。そんな時に瞑想が、意識が役に立つ。この意識はあなた本来の衝動を携えており、できる限りあなたの肉体に摩擦を起こさないよう計らってくれる。当たり前だろう、この宇宙の被造物の一つになぜわざわざ創造者が苦しんで欲しいと思うのか。創ったからには長持ちして欲しいに決まってるだろ…!



この意識が宇宙本来の動き由来であるゆえにこれはあなたから罪悪感を取り除いてくれる。何せあなたがやっているのではないのだ、あなたはただこの宇宙の部品として動いているだけであり、そこに個人的行為者の感覚があるというのは勘違いも甚だしい。あなたの人生の動きが周りにしてみたらエゴイスティックに見えることもあるかもしれないが、エゴイスティックなのはどうにか自分の力で頑張って社会の鋳型にハマろうとしているその他大勢の方だから何も心配はいらない。



この意識の灯火がどれだけの肉体に灯されるのかは私の知るところではない。私は神が嫌いなので、そろそろ彼も仕事をしたらどうかと思ったりするのだが、そんな私から見てもどうやら彼は仕事をしているように感じる。まあ私の肉体の周りでも色々起こっているのだ。今の時点ではここには何も書けないが、しばらくすれば私の周りで神がどのように仕事をしていたか書けるであろうし、私のようなしょうもない畜生生物にもそのようなことが起こり得ると多くの人が知ることになれば多くの人を勇気づけることになるであろう。



まあ私がブログを書かない間に色々あったのだ。神は私にこんなチラシの裏に適当なことを書かせるよりよっぽどうまいやり方を知っているようで、彼なりにどうやらうまくやっているらしい。こんな世界をわざわざ創った彼が私は嫌いで嫌いで仕方ないが、こういった存在の妙を見せられると「さすがに?」と認めざるを得ないところがある。こういった地点に運んでくれたのもまさに意識の力であるゆえ、皆さんも少なからずこの力にあやかってみてもよいのかもしれない。




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