吾輩はコーン🌽である。名前はまだない。
もちろんそこに自我もなければ「自分」という感覚もない。コーンだからだ。
やがて1人のおじさんに食べられる。「美人のお姉さんに食べられたかったなあ」といった思いもない。コーンだからだ。
たまたま歯で噛み砕かれることを免れそのままの形🟨で食道に入る。と、ここで周りの景色が動いているのが視界に映る。どうやら私は動いているらしい。
なるほど「自分」は今生まれたわけだ。ここから自分の力で人生をエンジョイしていこうではないか。
そこから自分の力で進んで行くと胃に出た。が、私はこんなところで満足するコーンではない。新たな高みを目指して行こうと考えていると小腸が見える。
小腸で私はプロになった。とはいえ私の実力がこんな小腸レベルで収まるとも思えない。メジャーリーグ…大腸へ無事昇格を果たした。
のだが、どうやら私の選手生命はここまでのようである。身体が溶けてきた…。まあ悪い人生じゃなかった。自分のやりたいことはできたのだ。
…
で、ご存知のようにこのコーンは消化されてう◯こになってトイレに流される。
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みなさんが使った水(おすい)は、地下にうめてある下水道管(げすいどうかん)をとおり、下水処理場《汚れた水をきれいにする施設》に運ばれます。下水処理場できれいにした水は、川や湖や海にかえしています。下水道管は、おすいが自然(しぜん)にながれるよう図1のようにかたむけてうめています。
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そして雨となり畑に降り注ぎ、また新たなるコーンが生まれ、そして人間に食べられ、また新たなる「私」という感覚が生まれる。
私たちの生涯とはこのようなものである。自分の力で生きていると思っているが、それは食道やら胃やら腸やらの蠕動運動の結果でしかない。動かされているのだ。が、私たちはこのコーンのごとく愚かであるので、自分の力で動き、生きていると勘違いしてしまう。
この一粒のコーンであるという理解を促すのが瞑想であったり信頼であったりするわけだが、これも各器官の蠕動運動によって起こるものである。つまり何もかもコントロール下にない。この蠕動運動によって悟る肉体もあれば悟らない肉体もあるわけだ。
といったことを語っているラメッシの文章を引用しておく。ちなみに私は「う◯ち派」よりも「う◯こ派」である。
ん…? どうしてこの記事を書こうと思ったのかって…? 決まっているだろ…! そんな恥ずかしいことを乙女に言わせるな…!
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