
方便ではもう間に合わない
Osho,この数週間あなたは、ものごとが変わるという希望はもう示さずに、世界が駆け足で袋小路に向かっていることをよく語っています。その一方で、1か月前には、光明を得た人びとが200人、あるいはひとりでもいれば、世界を救うことができるともおっしゃっています。強調点がこのように変わったのはなぜですか? 一方の可能性はあきらめたのですか? この数週問でなにかが起こり、それであなたのビジョンが変わったのでしょうか?
私がよく、世界は駆け足で袋小路に向かっている、と話していたのは事実だ。そのわけは、実際に世界が駆け足で終末に向かっているからだ。だが、以前にも駆け足で終末に向かっていた。いま私は、このことをあなた方の意識のなかに完全に強調しておきたい。それであなた方は、自分の変容を先に延ばすのをやめるからだ。
人間のマインドはあまりにも愚かで、少しでも先に延ばせる見込みがあれば、明日に延ばしてしまう。先に進む道がどこにもなく、180度の完全な方向転換をしなければならない袋小路にぶつからないかぎり――。
だが、世界のものごとはあなたの目には見えない。あなたが眠りつづけている間に世界は死んでしまうかもしれない。明日には世界はないかもしれないことを真剣に受け止めること、それがいますぐ必要だ。自分の覚醒をおいて他に、時間を無駄にする暇はない。
私はいまでも、世界に光明を得た人びとが200人いれば、世界を救うことができることを知っている。だが、光明を得た人がわずかひとりでも世界を救うことができるとは、いちども言っていない。それでは荷が重い。光明を得た人がわずかひとりでは、それは担えない。200人が最小限だ。だが、どこからこの200人を連れて来る? あなた方のなかから生まれなければならないのだ――。あなた方がこの200人の人びとにならなければならない。が、あなた方の成長はあまりにも遅く、あなた方が光明を得る前に世界がなくなってしまう恐れが充分ある。
あなた方は自分のすべてのエネルギーを瞑想に、覚醒に注ぎ込んでいない。それは、あなた方がやっている多くのものごとのなかのひとつだ。自分の人生の最優先事項ですらない。私は、それがあなた方の最優先事項になってほしい。
唯一の道は、世界は間もなく終わろうとしていることを、私があなた方の意識のなかに深く強調するしかない。
そして、もし終わる前に目覚めていなかったら、あなたは長い旅の途上で道に迷う。進化はどこか別の惑星で、まさにその出発点から始まるからだ。この惑星では、人間が訪れるまでに40億年かかった。人間の生は海で、魚として始まった。もしこの惑星が破壊されたら、生は別の惑星でつづけられる。だが、まさに第一歩から始まるほかない。それから40億年たって、あなたは再び人間になる。冒すにしては大きな危険だ。
世界はなにひとつ変わっていない。あらゆることがまさに死に向かって進んでいる――もちろん、少しは速くなった――そして、完全な絶減の瞬間がすぐそばまで迫っている。それはすべて、あなた方がなにを優先させるかにかかっている。もし覚醒することがあなたの優先事項になり、そのためにはなんでも犠牲にする用意ができたら、そうなったら望みはある。
私はあなた方に『旧約聖書」のなかの古い物語を話したことがある。が、それは今日では役に立たない。状況があまりにも違う。『旧約聖書には、広島や長崎とほぼ同じ大きさのふたつの大都市の物語がある。このふたつの都市の名称は「ソドム」と「ゴモラ」だ。このふたつの都市の人びとは性的にすっかり倒錯し、あらゆるたぐいの不自然な、精神的に異常な行為にふけっていた。彼らの性欲は完全に道をはずれていたのだ。このふたつの都市は、いわば『旧約聖書』のカリフォルニアだったのだろう。
物語は、神が一生懸命この人びとを変えようとしたことを伝えている。だが、誰を変えるにしても骨の折れる仕事だ。神にとってすら――。誰かが自分を変えようとしていると思っただけで、抵抗が生じるからだ。その変化がたとえ自分にとって良いものであっても、変えようとしている人に特権がなにもなくても――。とにかく、誰かが自分を変えようとしていると思っただけで、あなたは変わるまいとする無意識の抵抗をつくりあげてしまう。
ついに、神はその考えをあきらめて、このふたつの都市を破壊することに決めた。存在そのものが危険だったからだ。彼らがその病気を人類全体に広めることもありうる。ソドムでは性的倒錯がすすみ、人びとは動物と愛を交わすほどにまでなっていた。「ソドミー」ということばはここから来ている。ゴモラはすっかり同性愛に入り込んでいた。異性愛は影も形もなかった。『旧約聖書』によると、神はこのふたつの都市を完全に破壌している。だが、ハシッドの神秘家たちはもうひとつ別の語を伝えている。
ユダヤ教はハシッドという、神秘家たちのもっとも本質的な流れのひとつを生み出した。正統派のユダヤ人たちは彼らのことを認めない――。正統派はけっして宗教的なものを認めることができない。だが、組織化された宗教はみな、その枠外に組織化されていない、異なった解釈と異なった生き方を有する反逆的なグループを生み出してきた。ハシディズムは自分自身を見出し、存在のリアリティーを見いだすもっとも素晴らしい道のひとつだ。
ハシッドたちには別の物語がある。ふたつの都市を破壊する神など彼らには受け容れられないからだ――。なにか救う道があるに違いない。彼らの物語は、神が破壊することを決めたとき、ひとりのハシッドが神に近づいて、ひとつ質問したことになっている。「あなたはこのふたつの偉大な都市を破壌しようとしているが、このふたつの都市に善良な人びとが200人はいるかもしれないと思ったことはないのかね? その彼らも同じように破壊されてしまう。それに、そんなことになったら、悪例になりかねない。この200人のためだけにも、あなたは決心を変えるべきだ」
神はしばらく考えて――言った。「私はその面からはいちども見ていなかった。たしかに善良な人びとがいるかもしれない。悪人ともども彼らも破壊されてしまう。それではいけない。もしおまえに善良な人びとが200人いることを証明できたら、この都市は壊さないことにしよう」
ハシッドは言った。「だが、200人ではなく、20人だけだとしたらどうかね、ひとつの都市に10人ずつだが。それでもこの善良な人びとを破壌するのか? それほど量が大切なのかね、質ではなく? 善良な人が200人いようと20人いようと、なにも違わないではないか?」
神はハシッドの論旨を認めるほかなかった。彼は言った。「まさにその通りだ。善良な人びとが20人いることを証明するがいい」
ハシッドは言った。「だが、善良な人はひとりだけで、その人が6か月は一方の都市に、あとの6か月はもう一方の都市に住んでいるとしたら、どうかね? この都市を破壌するのかね? それが神にふさわしい行ないだろうか? 悪いのであれば、人びとの99パーセントは破壊されてもかまわないが、99パーセントの悪人を救うために1パーセントの善人を破壊することはできないはずだ」
神は言った。「おまえにはとても説得力がある。いいだろう、見せてみろ、その善人はどこにいる?」
ハシッドは言った。「この私がその善人だ。そして私は、6か月は一方の都市に住んで、人びとがその生き方を変容させるのを助け、残りの6か月は同じ目的のためにもう一方の都市にいる。あなたの決心はどうかね? 私も破壊してしまうつもりかね? ひとりの善人の方が価値があり、何千人もの悪人よりも重要なのではないのかね?」ハシッドの物語によると、神はこのふたつの都市を破壊しないことを認めるほかなかった。正統派のユダヤ人たちはこの物語を信じない。『旧約聖書』には書かれていないからだ。この物語はフィクションかもしれない。だが、私はあなた方に言おう、これはどの真理よりも真実だ。『旧約聖書』には書かれていないかもしれないが、その論理はひじょうに明白だから、偽りではありえない。歴史に基づくものではないかもしれないが、スピリチュアルなリアリティーがある。
同じ意味で私は、200人の光明を得た人びとが世界を救うことができると、あなた方に言ってきた。存在はひじょうに気前がいい。200人の目覚めた人びとを破壊することなどできない。彼らは意識の最高の項きに行き着いた――それには40億年という進化の年月がかかっている。だが、まさにあなた方がこの200人の人びとにならなければならない! あなた方を目覚めさせるために、私は終末がすぐそこまで迫っていることを強調してきた。しかも今度は、寓語ではない。
イエスはそれを方便として使った。世界の終末がすぐそこまで迫っていて、最後の審判の日も間近だということを――。弟子たちは彼が立ち去るときにたずねた。彼が敵の手に落ちる前、翌日には礫になるこが確実となったとき、彼らの最後の問いはこうだった――「私たちはいつあなたに再び会えるのでしょう?」 彼は言った、「まさにこの生でだ。というのも、世界の終末が迫っているからだ。とにかく、私がおまえたちに言ったことをするがいい」
が、キリスト教徒たちでさえ、彼が彼らになにを言ったのか知らない。捕まる前の最後の夜、彼らは山にいて、彼は弟子たちに話した。「これが、私たちがいっしょにいる最後の夜となるだろう。私は祈りを捧げたい。やぶの陰で私が祈りを捧げている間、おまえたちは目覚めていなければならない。それは絶対に欠かせない。私の祈りを支えるために、おまえたちは目覚めていなければならない。眠ってはいけない」
祈りの最中に、彼は戻って来た――。が、ほとんど全員が眠っていた。彼はその彼らを起こして言った。「私が言ったことを聞かなかったのか? おまえたちは目覚めていなければならない、と言ったのだ。たった一晩も起きていられないのか? もう私はおまえたちといっしょにここにいることはないのだぞ。私は明日には死ぬのに、それでもおまえたちが目覚めている助けにはならないのか?」 彼らはとてもすまなく思った。もういちどやってみます、と言った。そこで彼は再び出かけて行った。これが4、5回繰り返された――。彼が戻って来るたびに、彼らはみな眠っていた。
私からみると、これが彼の最後の教えだったのだ。目覚めていることが。だが、キリスト教徒たちはそれを完全に忘れている。私は、なぜイエスがこれほどまでに「目覚めていなさい!」と強く言ったのか、その言外の意味をキリスト教徒が明らかにした解釈は一度も見たことがない。彼は最善を尽くしていた。自分が去ってしまったら、彼らはみな眠り込んでしまうおそれが充分あったからだ。まさに人類全体が眠り込んでいるように―― 。そして彼らは、してはいけないことを夢のなかでし始めるだろう。だが、してはいけないことを防ぐことができるのは、あなたが目覚めていて、油断していないときだけだ。彼の最後の教えは覚醒だった。だが、弟子たちは彼の期待を裏切った――。この親しかった21人の弟子たちが彼の期待を裏切っただけでなく、2千年にわたって彼の弟子たち全員が彼の期待を裏切ってきた。「覚醒」ということばそのものが、人間を変容させるというキリスト教の概念から消え去った。イエスはたえず言っていた――「終末がすぐそこまで迫っている」。それは方便だったのだ。時間は充分あると感じたら、もう少し眠っていてもいいではないか? なぜ急ぐのか? となるからだ。だが、時間がまったく残っていなければ、そのショックであなたは目覚めるかもしれない。
イエスにとっては方便にすぎなかったことが、私にとっては方便ではない。現実だ。世界はまさに終わろうとしている。
私はあなた方に希望を与えてきた。私はふたつのことをしなければならないからだ。一方で私は、あなた方に世界は最後の自殺に近づいていることをはっきりさせなければならない。もう一方では、それでも少なくともあなた方には目覚める可能性があるという希望を与えなければならない。
あなた方の目覚めが途方もなく大切だ。これほど大切だったことはこれまで一度もない――イエスのときも、ゴータマ・ブッダのときも時間が充分あったからだ。時間は尽きた。私たちは時間の最後のところにいる。
あなた方を現実に気づかせること――そうすればあなた方は目覚めている努力を少しでもすることができる、もっと意識して、些細なことに埋没してしまわない努力をする――それが絶対に必要だ。私がますます強く言うようになるのはそのためだ。日ましに終末が近づいて来るからだ。
人は完金に眠り込み、ほとんど昏睡状態に陥っている。そして、その行動はすべて、この昏睡状態から生じている。さもなければ、世界が終わる必要はない。だが、私たちは自分の魂の内に核兵器をもっている。私たち自身の無知、私たち自身の深い眠りゆえに、終末はやって来る。
聞いた語だが……
ひとりのポーランド野郎がラクダに乗ってサハラ砂漠を横断していた。ラクダといっしょにただひとり孤独に過ごし、美しい女性を夢に描く日々が2か月もつづくと、ラクダが魅力的に思えるようになったので彼はラクダと愛を交わす決心を固めた。だが、さあこれからというときになると、ラクダは起き上がり、2、3歩あるいて、立ち止まる。ポーランド野郎はもう一度やってみたが、ラクダはまたしても起き上がり、2、3歩あるいて、立ち止まる。ポーランド野郎は何度も何度もやってみたが、うまくいかなかった。
ある日のこと、彼は砂漠に墜落した飛行機の残骸を見つけた。すると、そのすぐそばに若い女性が意識を失って倒れていたが、まだ息があった。何日も彼の介抱を受けて、彼女はすっかり回復した。ある朝、彼女は彼のところにやって来て、その可愛らしさをほころばせながら彼を抱きしめ、命を救ってくれてどれほど感謝しているか、その胸のうちを伝えた。「あなた、ほんとうにやさしいのね」と彼女は言った。「わたし、あなたのこととても好きなの、なんでもしてあげるわ」
彼女の美しい顔を見ながら、男は言った。「ほんと?」
「もちろんよ」と彼女は言う。
「わあ、そいつはうれしいな」とポーランド野郎はこたえた。「すまないけど、あのラクダを押さえといてくれる?」
人類の状況はそんなものだ。少なくともあなただけはそこから出るべきだ。が、時間はもうないということを思い出すために、あなたは頭をたえず叩かれることが必要だ。そして、私たちが通り抜けようとしているこの瞬間ほど危険に満ちていたときは、人間の歴史をくまなくみても一度もなかった。神学上のものごとで口論し、議論している時間はない。なにか奇跡が起こり、世界大戦は延期されるだろう、と自分を慰めるのは賢明ではない。それは世界大戦だけにとどまらない――。攻撃は多次元にわたる。
地球のエコロジーは崩壊しようとしている。
海のなかで、地球のまわりを巡っている潜水艦が無数にいる。しかも、その潜水艦はことごとく核兵器を搭載している。核ミサイルを搭載している1隻の潜水艦のエネルギーは、第二次世界大戦で使われた総エネルギー量でも比較にならないほどだ。ソ連は独自の潜水艦をもっている。アメリカは独自の潜水艦をもっている。なにかの偶然で2隻の潜水艦が衝突するようなことがあれば、この惑星の全生命は煙となって蒸発してしまう。しかも、政治家たちは核兵器をさらにもっと備蓄しようとしている。
世界の人口はすさまじい速さで増加し、この人口増加だけをみても、飢えと渇きで人類の半分が殺されてしまう。
性的倒錯がはびこり、ソドムやゴモラでさえまるで時代遅れに思える。
地球全体で1千万の人びとがすでにエイズに罹っている――。治療法はない。しかも、この1千万という数字は正確ではない。まだ多くの国々がエイズ患者の数を発表していないからだ。調べる方法がない。たとえばインドは、いったい何人の人びとがエイズに罹っているのかわかっていない。回教の国々では、ひじょうに多くの人びとがエイズに罹っていても不思議はない。何千年もの間、ホモセクシュアルが行なわれてきたからだ。
ごく穏やかな見積もりによってすら、今世紀末までに一億の人びとがエイズに罹るとされている。それは、少なくとも10億の人びとがホモセクシュアリティに関わっているに違いないという意味だ。
これが、地球に近づきつつある死の、多次元にわたる道だ。
私たちがひじょうに多くの森を伐採したために、私たちの大気圏の上層、地球から何マイルも離れた、大気の尽きるところに二酸化炭素が集まって、厚い層ができている。この層はひじょうに厚く、地球の気温をすでにこれまで以上に高めている。そして、その気温の上昇で北極と南極の氷が解けている。もしその氷が解けつづけたら――それに、それは防ぎようがない――世界の海はすべて水位が4フィート上がる。それに、あなた方の大都市はみな港だ。洪水に見舞われ、住めなくなる。
この二酸化炭素がいまより少しでも厚くなったら、ヒマラヤとアルプス山脈でけっして解けることのなかった万年雪が解け始める。ヒマラヤ山脈だけでもひじょうに多くの氷がある。だから、もしそれが完全に解けたら、世界の海はすべて水位が40フィート上がる。あなた方の都市はすべて水没してしまう。しかもこれは、いつかは引くような洪水ではない。
起きているもっとも危険なことのひとつは、二酸化炭素がますます蓄積されていることだ。木々は二酸化炭素を吸収しつづけている。もしこの木々を切り倒したら、あなた方はふたつのものを切り倒していることになる。自分の生命への酸素の供給、そして、二酸化炭素が吸収されてゆく場。これは両刃の剣だ――。しかも、まったく必要ないものだ。
人間は月と火星に行き着こうとしてきた。が、その前に私たちは、大気の尽きるところ、地球の何マイルも上方に……地球をすっかり包み込むように、ある種のガス、オゾン、O3の厚い層があることにまったく気づいていなかった。それが大きな保護の役目を果たしている。そのオゾンゆえに、地球には生命が存在できたのだ。このオゾンのはたらきはひとつしかない。生命を破壊する太陽光線をすべて阻止する。送り返してしまう。生命を与える光線だけを通過させる。
月や火星に向かうロケットで、私たちはオゾンの層に初めて穴を開けた。いまやこの穴が、太陽のすべての光線を地球に入り込ませている――。それには死の光線も含まれている。
だから、私が終末はそれほど遠くないと言うとき、イエスがただ方便としてそう言ったのとは違う。今世紀の末までに、これらすべての次元が死をもたらしてくるのを、あなた方は見ることになる。そのことが強調されなければならない。死をはっきりと悟らないかぎり、あなた方はその全エネルギーを自分の存在を変容させることに集中しようとしない。
人びとが変わるのはむずかしい。そのままでいた方が楽だと思う。まさに石のように、岩のように。変化とは、断固とした努力のことだ。自分のエネルギーの変容に関わること、非の打ちどころのない真剣な態度で自分の存在を引き受けることだ――。そのエネルギーを愚かなものことに浪費してはならない。
名を馳せたプレイボーイが死んだので、親友たちは告別式を行なって祝うことにした。夜もふけたころ、ある友人が、地獄に電話して彼がどこに行っているか確かめてみよう、と提案した。「でも、どうやって地獄に電語すりゃいい?」と誰かがたずねた。
「そうさな」とその男は答えた。「ちょっと長距離電話をかければいいんじゃないか」そこで彼らは電話帳を開き、宇宙通語の欄をくまなく調べて、見つけた地獄の番号を回した。すぐに、恐ろしいしわがれ声が返ってきた。「地獄じゃ。なにか用か」
悪魔のような声に恐れをなして、彼らは言った。
「友人を捜しているのですが」
「名前はなんという」
「ピーター・トンプソンです」
「ここにはいないぞ」
悪魔は電話を切った。
彼らはすっかり驚いて、分別をなくしてしまい、今度は煉獄に電話することにした。煉獄の番号を回すと、ほっとしたことに、向こうから聞こえてきた声はそれほどぞっとするものでもなかった――。前よりはビジネスライクな声だったのだ。彼らは、死んだばかりだけど地獄にはいない友人をさがしていることを説明した。
「そうか……」と向こうの声は答えた。「そいつはここにもいないな。天国でもあたってみたらどうか」
「そんなこと言ったって、やつはプレイボーイだったんですよ!」友人たちは答えた。「どこかにはいるはずだろう。天国でもあたってみな」
そこで、彼らが天国に電話すると、天上的でひじょうに優しい、ゆったりとした答えが返ってきた。「もしもし、こちらは天国です。聖母マリアですけれど、なにかご用でしょうか」
すっかり恥ずかしくなって、彼らは事情を残らず説明した。
「いいえ」美しい声はたっぶりとエコーを響かせて答えた。「そのかた、こちらにはいらっしゃいませんわ。お電話ありがとうこざいます。またかけてくださるわね」
そこで、彼らは毎日、天国に電語した。が、答えはいつも同じだった。それでも何度も何度も電話して、1週間たった日曜日の朝、とてもセクシーで、肉感的な、早口の答えが返ってきた。「ハーイ、あたしマリア。みんな、どうしたの?」
互いに顔を見合わせ、笑いながら友人たちは意見が一致した。「やつが着いたんだ!」
変わるのはとてもむずかしい。地獄にいようと天国にいようと、プレイボーイはプレイボーイのままだ。繰り返しにすぎない生き方をしつづける。
油断せずにいることは、ロボットであることをやめるという意味だ。型にはまったやり方を変えなさい。もっと意識して動きなさい。あらゆる動きを覚醒の対象にするがいい。そうすれば、残されているこの数年でさえ充分だ――。充分すぎるほどだ。もし自分の全エネルギーを変容に注ぎ込んだら、地球の破滅もあなたの破滅にはならない。もし意識して死ぬことができたら、より高い生、永遠の生、神性を帯びた生への鍵を見つけたことになる。