箱根駅伝が終わったのでブログを書く。

私は元々陸上部で長距離を走っていたのでかろうじて駅伝を楽しめてはいるが、世間の多くの人はこれを見て楽しいと思うのだろうかとふと疑問に思う。



道(タオ)は無碍自在である。世間の多くの人がそのコンテンツを楽しんでいるからといってそれにわざわざ参加する必要性もないし、「楽しまなくてはならない」というのも一つの強迫観念である。

私は陸上経験者なので箱根は毎年見ていたが、今年はあまり見る気が起きなかったので昼過ぎに起床して終わりの方だけ「あ、ふーん」という感じで見ていた。



こういった「自分に喜びをもたらすもの」も瞬間瞬間変化している。だからこそ力を抜き、瞑想的な状態で生き、内なる衝動に敏感でいることが生で得られる喜びの量を左右する。



「道」と聞くとなんだかぐうたらな感じ…おおよそ老子のせいだと思うが、ただボーッとしているだけの印象があるかもしれない。では世間のこの80億人が道を生きているのかといえば全くそんな訳ないのだ。無意識で、隷属的で、ただ蠢いて、箱根駅伝の沿道に駆けつけることが道なのではない。



道は醒めている。かといって緊張がある訳でもない。野良猫と同じように警戒感もあればリラックスもある。が、多くの人にとって「ただリラックスしろ」と言ってもどうしたらいいかわからない人が多いので「観ましょう」とか「瞑想しましょう」とか言うのである。



ということで瞑想会のご案内。



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めいそうはじめ おいわいはじめ

うたっておどって しんがのいわい

しずかにくつろぐ しふくのときよ

うれしさ かなしさ こころをこえて

しずかにほほえむ ほんとのわたし

こいつをおもいおこしたら

いちねんじゅう しろくじちゅう

ほんとにめでたく いきいきと

わらってぴかぴか いきませう

ほんとにほんとに おめでとう!

kuuhaku

Playful Meditation!

毎回この瞑想会は生き物のように自由自在に変化をしています

存在の計らいが私たちのマインドを遙かに超えて起こり続けています

その時々、「今」必要なことが起こり続けている

人知を越えた不可思議な一時・・

ありがたくて・・楽しくて・・美しくて・・そして限りない静寂・・!

ライブミュージックに触発されたエネルギーの爆発

時には強力なリズムが精神の根底を揺さぶり

そして時には繊細なメロディがハートを癒やしてゆく

そして・・やがて・・深い深い静寂へと・・

本来の面目といわれる本当の自分を思い起こす・・!

こんな不可思議なことが起こり続けています

本当の自分を思い起こすこと・・これは究極の安らぎです

私たちはいつも外側ばかりを眺めて不安になったり幸福になったりしています
どこかの誰かが言った情報に振り回され「こうするべきだ、ああするべきだ」「こうすれば幸せだ、こうなったら不幸だ」等々・・いつも右往左往

外ばかりを眺めていたら・・ 「自分」を忘れてしまった・・

摩訶不思議で神秘に満ちあふれた「自分」を恰も失ってしまったかのように
外側の出来事や情報に一喜一憂して、不確かな生をやり過ごしている

いつも外側に向けていた意識を内側に向けると・・
外に向いていた意識を反転させて自分の内側を覗いてみると・・

そこには忘れてしまっていた宝物が・・
生まれながらに持っている奇跡のような宝があったということを思い出します
それは、まさに“今ここ”にあって休むことなく脈動している

本当の自分・・
それは純粋に光り輝き、何ものにも触れられない無上の意識
永遠であり絶対であり歓喜に満ちあふれた至福の存在
神と言われ、仏と言われ、空と言われ、無とも言われる久遠の生命

本当の自分を思い起こす・・ これが瞑想です

雲が去れば、そこには広大な青空が広がっている
純粋な意識を覆い隠している思考や雑念が去れば、そこには本当の自分が・・
限りない大空が広がっています

これこそ究極の楽しみです

幸せを求めているけれど中々見つからない
人生に絶望して希望を見出せない・・等々

外側に何かを探し続けても、一時の慰めは見つかるかも知れません
しかし、これこそが自分が求めていたものだと確信を得るものは決して手に入らない・・
これが多くの人間が直面している悩みや苦しみの根本的な原因だと思います

自らの内側に“それ”はある
外側をいくら探しても決して見つからなかったもの・・
永遠不滅の宝・・それは内側にあります

その中に入って行きましょう
それはそこにあります
本当に自分の求めているものが・・

ご参加をお待ちしております  

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