引用は全て「著 ラメッシ・バルセカール 『誰がかまうもんか?!』」から。



「どうすれば自分がこの肉体精神機構を通じて起こる行為をおこなっている者である、という考えを取り除くことができるでしょうか?」─p176



一つは瞑想の道、観照の道である。



肉体が歩く、それを見守る。

肉体が皿を洗う、それを見守る。

肉体が考える、それを見守る。

肉体が怒る、それを見守る。



やがて「不動の観照者」と「好き勝手に行為している肉体」が分離し、「行為も何もかもがただ起こっている」という理解が染み渡る。



もう一つは信頼の道である。



もちろん事あるごとに「南無阿弥陀仏」と唱える、いわゆる「それは私という個人がやったのではなく仏さまがやりました」という仏への押しつけも有効だ。

が、ここではラメッシ・バルセカールのやり方を貼っておこう。































(残り三行分アメブロの制限で貼れなかった。つーかこれが限界)



もちろんこの全てのワーク、瞑想にしろ信頼にしろそれが起こるかどうかは既に肉体にプログラムされているし、瞑想や信頼がいつ起こるのか、日中に思い起こしたり全く思い起こせなかったりするのかもプログラム通りに起こるだけである。



つまり探求者にしろそうでないにしろ何ら罪悪感を抱く必要はない。

が、やるならやると決めることだ。

今のスピリチュアル界隈はただ「起こることは起こる」という教えを耳にして、自分の都合の悪い時だけ神に全てを押し付けている。

普段は「自分の力で」「自分のおかげで」とか言いながら、都合が悪くなった時にだけ「自分のせいで」を排除して神のせいにする。



これは南無阿弥陀仏の道ではない。単なる非力な人間の、非知性的な人間のただの責任逃れである。

法然や親鸞が生きていた頃は大衆の間にも南無阿弥陀仏が浸透していた。彼らの教えを信じる人は心から信頼し、日中も南無阿弥陀仏と口ずさみ、自分の悪い面も良い面も「お陰さまです」と言う美しさがあった。



都合の悪い時だけスピリチュアルを、神を持ち出す人間ほど気持ち悪いものはない。

先日「宇宙本来の流れがある」と書いたが、この道に関わらないことが天命の人ももちろんたくさんいるのだ。

その人たちもまさに自分自身を生きることによって、こんな道には関わらずにケーキ屋をやったり、サッカー選手をやったり、政治家をやったりすることによって(政治家だけは厳しいかも)幸せに生きることができる。



だから全面的でいることだ。これは一時期流行った引き寄せの法則にも言えることである。

「何かを強くイメージする」「願いを保ち続ける」「常にワクワクした気持ちでいる」といったことがいかに「自分」というものを持ち出しているかは考えるまでもない。



サンタクロースの宇宙くん🎅に登場してもらおう。

彼は私の願いを叶える用意がある。なぜなら宇宙くんがこの私の肉体を創ったのであり、それをある程度生き永らえさせるようにプログラムしたからだ。

「野生の鳥ですら食事にありつけるのだから私たち人間の面倒を見ないはずがなかろう」という誰かの言葉の通りである。



しかし人間は野生の鳥と同じように食事を繰り返しているだけでは干からびてしまうのである程度の喜びも餌として必要だ。だからサンタクロースの宇宙くん🎅はその喜びを与える義務もある。



だからもし私が何かを願わなければ、社会にお金持ちがいいと教わったから、美しい恋人がいた方がいいと教わったからといってそれを強くイメージしたりしなければ、サンタクロースの宇宙くん🎅はちゃんと私の必要性を満たしてくれる。



が、常にその「社会から教わったお願いごと」を保ち続けたり、常にワクワクするよう自分の力で努力したりすれば、サンタクロースの宇宙くん🎅は


🎅「いや余計なことせんでもろてええか? ワイが何もかもプログラムしてデザインしたさかい、あんたが余計なことをすればするだけワイの願いが叶いにくくなるねん」


と言うしかないのである。



だから全面的に彼🎅に任せることだ。彼がインチキくさい関西弁を話していようが何であろうが、「半分だけ明け渡す」よりは全然マシだ。

「半分の責任転嫁」によって自分の悪しき面だけ彼🎅に明け渡すと非常にエゴイスティックな人間が誕生する。

「全てを自分のせいにしている人」よりも「自分の善行だけ自分のおかげで悪行は全て彼🎅のせいにしている人」の方がタチが悪いのは言うまでもない。



サンタクロースに引っ掛けて何かうまいことを言おうと思ったが、何にも思い浮かばないのでここでおわりにしよう。

「つーかこれが限界」という感じだ。ちなみにこのセリフはHUNTER×HUNTERという漫画のノブナガの物であるが、改めて考えてみるとスピリチュアルな言葉でもある。



誰しもが肉体と遺伝子と環境によって限界が定められているし、それ以上の振る舞いをすることはできない。

お互いがそうであることをお互いが了解し合えれば優しく美しい社会になるであろうし、個々人がそれぞれの「つーかこれが限界」を露わにできればそれだけみんなが生きやすくなるだろう。



最近のHUNTER×HUNTERはアホみたいに文字が多くて大半の人には不評であるが、私の中では現在ナンバーワンの漫画だ。気軽に「漫画読も」と思って手に取る人にはもはや向いていないのかもしれないが、難解な物を求める人にはこれ程面白い作品はない。

理想の社会システムや個々人の能力など多岐に渡ってスピリチュアルな奥深い面が描かれているので、この界隈の住人はむしろ楽しめるかもしれない。終わるつもりのところからなんかたくさん書いてしまった。




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