昨年12月に心療内科クリニックに放火した男が生活保護を2度申請したものの受給できなかったという記事。
私も生活保護を申請したことがある。
当時は家もなかったのでNPOの「命を守る団体的なところ」の宿泊施設に転がり込み、しばらくそこで暮らしていた。
そこの職員と市役所に生活保護の申請に行ったのだが、この記事そのまんまの対応である。
「若いから」「働けるのではないか」といった感じだ。もはやこういったセリフを言うのがテンプレにでもなっているのか?
もちろんこの記事にもある通り全員が全員そういう訳ではないだろう。真摯に困窮した立場にある人間を救いたいと願っている人もいるに違いない。
が、得てして公務員というのはその採用の制度の「公務員試験」が筆記によって行われていることにより、知性を携えた人が採用されるということにはなっていない。
私の親戚にも公務員になる為に何年も何年も勉強する「公務員浪人」をしていた人がいたのだが、果たして、こういった生活保護を申請する人に対応する力、柔軟性が必要な仕事にその勉学はいかほど役に立つのか?と思うのである。
これは警察官にも言えるだろう。
市役所にしろ警察官にしろ、最も現場で人と接しなければならず、その都度状況が変わり、その都度最大限の柔軟性、知性が必要な仕事なのにも関わらず、その仕事につくのは「柔軟性も知性もないが勉学だけはどうにか頑張れるので公務員試験を頑張った」という愚鈍な人たちなのだ。
じゃあどうすればいいかと言えば、その公務員試験の制度を変えるか、あるいは現場のマニュアルを公示することだ。
どういった人が受給できてどういった人が受給できないかというのは明確でなければならない。むろん同条件なのに役所によってその可否が分かれるなんてことはあってはならない。
そして今役所に勤めている愚鈍な人たちはそのマニュアル通りロボットのように動かなければならない。
私はNPOの職員としばらく行動を共にしていたので普通の人よりはこの界隈に知見があると思う。
どうやらこの「生活保護が通るかどうか」は役所によって、いわば申請する市や町によって確率が変動するらしい。ガチャガチャである。
今すぐに公務員試験制度を変えることはできない。何せその上の政治家がそもそも非知性的で愚鈍な人たちの集まりだからだ。
そして市役所の人間の振る舞いを今すぐ変えることもできない。
ので、生活保護を申請する立場の人は市役所ガチャをしてみるしかないのかもしれない。
基本的に自分の住民票の住所の市町村でしか申請できないらしいがなんとかなったりする。
私自身自分の市町村まで移動する電車賃すら当時なかったので、全く関係のない市町村で生活保護を申請した。
結果的に神がかり的なものに救われて受給するまでには至らなかったものの、市町村ガチャ、あるいは手助けしてくれるNPOガチャというのは有効であるように思える。
とにもかくにも大きな変革というのはすぐには起こるものではないので、個人個人がフレキシブルにこういった人たちを手助けするしかない。
手助けしようがしまいが、お金を蓄えて贅を尽くそうが尽くさまいが私は構わないが、そういった行為によって貧困にある人たちを殺し、そして貧困にある人たちによって殺されている人をも殺しているということさえ忘れないで頂ければ私は十分である。
その通り👏👏👏😂 pic.twitter.com/ZMLxyXRyxd
— きんぴら ✌️ (@ZL8CbPjXWoddz8w) 2022年8月31日
