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レット・ゴーというのは、ひとつの理解だ。
それは、わざわざしなければならないようなものではない。
それは、存在に言ってやらなければならないようなものではなく、
たんに理解することだーー私は流れに逆らって泳いだりしない。
そんなことはたんに馬鹿げているからだ。
あなたはすぐに疲れはててしまうだろう。
流れに逆らって勝つことなどありえない。
それを理解することで、
あなたは、その流れの方向を自分の方向として受け容れる。
それがレット・ゴーだ。
いまや、その川があなたをどこへ導こうとも・・・
あなたは毎日チェックする必要はない。
あなたはただ、その川と共に行くだけだ。
いつの日かーー
いかなる日にでもーー
あなたは大海に至るかもしれない。
消え失せるかもしれない。
Osho

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私は自然崇拝者だ。

瞑想も信頼も、自然に至るためのテクニックにすぎない。



人間の肉体の中で最も自然に近い部位はどこか?といえば脊柱だ。

この部分にストレスが溜まっていないだけ、エネルギーがよどみなく流れているだけ、私たちは自然に近づく。



あ、今日の記事の画像も「著 ロバート・シモンズポケット版 ブック・オブ・ストーン」より引用する。



最近シヴァ・リンガムやガーネットを用いていると、日常の気づき、今ここにいる能力、より意識的でいられる度合いが増加していることがわかった。

これらの石は脊柱の中を流れるエネルギー、クンダリーニに作用するものだ。




(ちなみに店舗で普通に「ガーネット」という名前で置かれているのはこの「アルマンティンガーネット」である。ネット上で探すと「アルマンティンガーネット」と「ロードライトガーネット」は見た目が酷似しているが、何の記述もない「ガーネット」が「アルマンティンガーネット」である)


(例のロードライトガーネット。こちらは強くクンダリーニに作用するわけではない)



また、ボブ・フィックスに「そちらが出してる瞑想音楽でクンダリーニに作用するもんない?」と問い合わせると、どうやらこれがそれらしい。



①脊椎の下底のセン(ストレスを溜め込む管)、及び全身のセンに作用するやつ


https://bob-fickes.stores.jp/items/61924dca1bfe1923aa8ed282


(私の感覚としては二曲目のTAM TARE TUTTAREの方が強く感じる。ZIPファイルで送られてくるのでお金さえ振り込めばすぐにスマートフォンで聴ける。もちろんイヤホンで聴いても効果はある)



これは以前も紹介したのだが、その時は「身体の全身をカバーできる」というようなことを書いた。気がする。

まああながち間違いでもないのだが、現代人はすぐストレスを胸の部位に溜め込むので、もしこの音楽だけ用いても日常の憂鬱さ、重苦しさ、悲しさが取れない場合は、以下の音楽を用いると良い。



②胸のセンに作用するやつ


https://bob-fickes.stores.jp/items/5e56560296fa433da86e20f0


(これはCDしかない。しかもどうやら品切れ中らしい。事務局に問い合わせたらうんとかすんとか言うかも)



まあどれも以前にも掲載したやつである。

以下のは恐らく掲載していないやつで、更に表面的なストレスを取り除くのに向いたものだ。

身体の深い部分に作用する順に、

①→②→③

である。

この三つがあれば身体のほぼ全てをカバーできるし、一番わかりやすく、安く済ませられるのではないかと思っている。



③全身の表面的なセンに作用するやつ


https://bob-fickes.stores.jp/items/5f526dcd1829cd0852df228b


(これはZIPファイルがある。日常で使うのに多分一番便利)



「ボブ・フィックスの回し者か?」と思われても仕方ないが、確かに回し者なのかもしれない(そうなの?)。

まあ私が回し者だと主張したらむしろボブ・フィックス側が困惑してしまうので嘘をつくのはやめるが、彼のことを宣伝したいのは間違いない。



というのも、彼の能力に比例した分だけ彼のテクニックが広まっていないと感じるからだ。

テクニックだけでいうなら私のマスターであるOSHOを遥かに上回る。

ボブ・フィックスの講話というかお話の部分では、形而上学的、サンドウィッチマン富澤の「ちょっと何言ってるかわかんない」的なところは大きい。

その部分ではOSHOには敵わないが、ボブ・フィックスのテクニックは歴史的に見ても目を見張るものがある。



クンダリーニという言葉は精神世界に馴染みのない人ですら聞いたことがあるくらい有名であろう。

オウム真理教の影響もあったりするのか?

「クンダリーニ」という言葉のついた本を読んでみると、かなりオカルト要素を強く感じる。

空中浮遊したり、七色の光が見えたりするのは日常である。

もちろん私は浮いたり光が見えたりはしない。

学生時代はよく「浮いている」と言われていたので、かつてはその能力があったようだが、今ではその能力は失われてしまっている。



確かにこういったオカルトチックなことはバカバカしくナンセンスであり、途中で読むのをやめようと思ったが(やめたけど)、目を見張ることも書いてある。

いわゆる「クンダリーニ・ヨーガ」に関するものだ。

今まで私はヨガとかヨーガとかいうものを知らなかった。

世間でも女性がヨガをやったりしているようだが、果たしてどういう効果があり、何をしているのか詳しくは知らなかった。



クンダリーニ関係の本を読んでみると、あらゆる体操が掲載されている。

例としては、座った状態で、右足を左腿に乗せ、左足を右膝の外側に出し、両手で手とは逆の足を掴む、といったものだ。



やってみるとわかるが(やってないけど)、恐らくこういったことは脊柱の下底部、お尻のちょい上部分をストレッチさせる。

この動きによって脊柱下底部のストレスが取り除かれ、よりクンダリーニを自然の状態に戻す、といった類のことなのだろう。



じゃあそのクンダリーニが自然の状態になるとどうなるのか?といえば、ただ気づきや意識が増加するだけにとどまらないと感じている。



ボブ・フィックスのフルフィルメント瞑想の「プロスペリティマントラ」や「ニューライフマントラ」「ダイヤモンドマントラ」は、クンダリーニに作用するものである。

これらのマントラの宣伝文句には「より生活を豊かにする」という感じの言葉が使われている。



まあ商品を売るのにこういう言葉は使われがちではある。

が、私の経験でも、世間一般の「豊か」のイメージとピッタリそぐうわけではないのだが、「あるべき場所にあるべき物が落ち着いていく」という感覚がある。

「この宇宙の自然の状態に戻る」のだ。



それは小さなことかもしれない。

例えばいつも使っているティッシュ箱の位置を10cmだけずらしたり、部屋を掃除したり、いつも使っているスーパーとは別のスーパーに行くことだったりするかもしれない。

どういった類の行動であれ、それがより自然に則したもの、より喜びをもたらすものに変化しているように感じる。



歴史上の文献を見ても、あらゆるものでこの「クンダリーニ」「眠れる大蛇」「サーペントパワー」について触れられている。

OSHOも「奇跡の探求<1>」という本の第一章、「眠れる大蛇─クンダリーニ」で、このクンダリーニ関して言及はしているし、「クンダリーニ瞑想」なるものを生み出してはいるものの、私自身はいまいち理解していなかった。

が、このエネルギーは恐らく人類を変容する基盤になるのではないか、と今は思っている次第である。



ところで、この「蛇🐍」は私の思った以上に世間では使われているらしい。

↓暇つぶしにどうぞ。








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