今日の記事の画像は全て、著 ロバート・シモンズ「ポケット版 ブック・オブ・ストーン」より引用する。


私が今使っているのがこれである。

何が良いかと言えば、「すべてのチャクラ」に作用し、「全てのエレメント」を含有しているということだ。



先日「『嵐』のエレメントはクソ」と書いたが、一概には言えないようである。

このシヴァ・リンガムは身体の近くに置きっぱなしでも問題なかった。

「確率的にそうであることが多そう」とは言えるのだが、全てがそうだとは言い切れない。



私の場合、セラフィナイトとクリアクオーツ(水晶)を使っていたのだが、これらは部屋に置きっぱなしにしておくと例のごとく身体がアチアチに、そして無意識になる。



「いやセラフィナイトのエレメントは『地』だよね?😅」と思われた方は思惟が浅い。

最新版の著 ロバート・シモンズ「新しい意識の石」ではエレメントが「地・嵐」に変更されている。



また、私の水晶はパワーストーンの店舗で買ったものなのだが、これはヒマラヤ産の物である。

店員の言うことに信憑性はほぼないが、店舗にあった水晶はブラジル産とヒマラヤ産の物があり、ヒマラヤ産の方がパワーが強いらしい。



こういったことからも、一概に、「本にエレメントが『嵐』と書かれていたから」とか、そういったことで判断はしきれないのである。



なぜ「エレメントがたくさん含まれている方がいい」と言うのかといえば、現代人には第五身体までの全ての浄化が必要であると感じるからである。



また、私のフルフィルメント瞑想の経験によるところも多い。

五元素全てを含むクリシュナマントラとそれ以外のマントラでは感覚的にだいぶ違う。

クリシュナマントラでは「全身なんの不足もなしに全て浄化している」という感覚があるが、他のマントラは全てどこか浅い感覚があったり、作用していないところがあるゆえ独特の気持ち悪さが残ったりする。



ということで「全てのエレメントが含まれた石」をペタペタしておく。

「ガーディアナイトは火の元素が入ってないやんけ!」とお思いのそこの関西の方は少し落ち着いて欲しい。

この石にはエジリンが含まれており、そのエジリンの方にはちゃっかり火の元素が含まれているので安心していただきたい。

数多くのパワーストーンがロバート・シモンズの本には載っているが、全てのエレメントが含まれている石はこの三つしかない。

最新版の「新しい意識の石」も立ち読みして調べた。



この三つの中からどれを選ぶかは好みの問題だろう。


「クンダリーニ」に惹かれるならシヴァ・リンガムだし、


「なんか凄そうな感じ」に惹かれるならサウラライトだし、


「ソーマ(液晶体、液晶ボディマトリックスに流れる松果体からの分泌物)」に惹かれるならガーディアナイトだろう。



クンダリーニに関してスピリチュアルだのインドだので色々言われているが私はよく知らない。

OSHOも講和の中で触れていたり、「クンダリーニ瞑想」なるものを弟子にやらせていた(当然私もかなりの回数やった)が、いまいち私は理解できていない。



フルフィルメント瞑想の脊柱の下底に作用するマントラ、「ニューライフマントラ」や「ダイヤモンドマントラ」をやると、独特の背骨のあたりがゾクゾクする感覚はある。

が、それ以上のことは知らない。



ただ、肉体の健康を考えた時に、いわゆる健康に良いとされる第一チャクラに作用する「ガネーシャマントラ」や「ババジ1マントラ」よりも、脊柱の下底に作用するマントラの方がよりエネルギッシュに、活動的になれる感覚がある。



どちらのマントラも「富、繁栄、健康」を宣伝文句にしていたりするが、私の感覚としては「脊柱、クンダリーニ」の方がよりその作用は強い。

どちらも「第一チャクラ」「ルートチャクラ」としてひとまとめにされてしまいがちであるが、「おおよそ同じ」とはいえ「違うもの」と考えた方が良さそうである。



余談ではあるが、「脊柱の下底」に作用する「ニューライフマントラ」「ダイヤモンドマントラ」ではなく、「脊柱そのもの」に作用する「ナラシムハマントラ」は健康にさほど効き目がなかった。

この「ナラシムハマントラ」に関しては私は相当やり込んだのでかなり自信を持って言える。



脱線して色々書いたが、要は「クンダリーニは良いよ」というだけのことだ。



ソーマであるが、これは以前にも書いたが皮膚や細胞膜が液晶体で構成されているゆえ、お肌にいい。

ボブ・フィックスもよく「若返り」というワードを宣伝文句にしているが、お肌が気になる女性は惹かれたりするかもしれない。



部屋の特定の位置に置きっぱなしにして、強すぎる(身体が熱を帯びてきたりボーッとしたりする)と感じるならより離れた位置に置いたらいいし、弱すぎる、何も変化を感じないと言うならば、より近くに置いたらよい。



恐らく次回は「多くの石と併用可能な石」について書く。




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