という本を見つけた。



Amazonで800件ぐらいレビューがついているが、果たしてこの人たちの願いは叶ったのだろうか?



現在人類は不幸の真っ只中、OSHOなどが1990年あたりに「そろそろ流石に人類ヤバいぞ」なんて言っていた時よりはるかにヤバい状況にあるわけだが、こういった系列の「引き寄せの法則」は、少なからず人類に貢献したのだろうか?



以前の記事でノーマインドだ、意識だと書いたが、私の経験では「願わなければ、叶う」だ。



私たちは「自分が収まるべき理想の場所」を知っていると思っている。

金持ち、権力者、名声、いいね、リツイート、友人、恋人、家族、仕事

こういった理想を得た人たちが未だ惨めなままである、と以前の記事で書いたが、彼らもまた「自分が収まるべき理想の場所」が、どこか今いる自分の地点とは別の場所にあると思っている。



そして、マインド、自我、個人には、自分のいるべき場所、取るべきスペース、当てはまるべきピースの場所というのは知り得ないのだ。



それはそうあって然るべきだ。

地球の誕生からのカレンダーを一年で表し、1月1日を地球誕生日とし、翌年の1月1日を今とするものを見たことがあるかもしれない。

このカレンダーで我々人類が誕生したのは12月31日11時59分なのだ。

そんな若輩者が、「この宇宙で個人がどこに在るべきか」なんてこと分かりようもない。



我々はマインドを信頼しすぎているのだ。

社会、先生、親、友人、メディア、宗教

これらのものから、より多くのお金、権力、名声、徳を得れば幸せになれると我々は教わり、それを信じて生きてきた。

が、どうやら我々は失敗してしまったようだ。



「もっと多く」もマインドであり、「もっと少なく」もマインドだ。

私たちはこのどちらも手放さなければならない時節にいるのかもしれない。

この両方を手放し、自分の当てはまるべきピースに落ち着くのなら、そこには社会のいかなる条件付けにもとらわれない満足感、充足感があることだろう。




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