「モジュッド」の中で出てくる「必要なものは与えられる」という言葉…

私たちには何が必要なのだろう?



よりお金を集め、より有名になり、より優れた能力を得るのが現代では良いこととされている。



が、ご存知の通り(?)、


お金をたくさん集めたにも関わらず、自分には価値がないと感じている為、お金を再配布することによって注目を浴びなければ気が済まなかったり、


圧倒的政治的権力を得たにも関わらずショットガンで撃ち殺されてしまったり、


オリンピックで何個金メダルを取っても肉体を酷使するのをやめられなかったり、


世で「必要とされているらしきもの」を得たにも関わらず、多くの人は惨めなままだ。



これはマインドが持っている特性の「もっと、より多く」という性質ゆえ、マインドに翻弄されるとこういう一生になるのであろう。



では、マインド、自我、個人的行為者感覚に翻弄されない一生とは何であろうか?



マインド、自我、個人的行為者感覚の逆…

ノーマインド、意識、全体の中の部分としての行為者感覚

これは何を私たちにもたらしてくれるのか?



私の経験では、ノーマインド、意識を拠り所として生きていると、摩擦が、苦しみが生まれない。

これは以前にも書いたが、この宇宙にとっては「存続すること」が目的であり、この存続のためには我々に苦しんでもらっては困るのだ。



ではなぜ我々がこんなにも苦しんでいるのか?といえば、我々が勝手な目的を抱き、個人的な理想を描き、あるべき姿を固定化し、教育しているからなのだろう。

本来の宇宙の目的ではなく、我々が勝手な理想を作ることによって、わざわざ進んで苦しんでいるのだ。



我々はパズルのピースの一つとして生きている。

もしそれぞれのピースが、もっともっとを望むことなく、自分のピース分だけ得て、それに満足し、過剰に持っていれば与え、不足していれば貰う世界であるなら、どのピースもこの宇宙の目的である「存続すること」にかなった、苦しみのない生をおくることが可能であろう。




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