テレビの電源がなぜか勝手についたり消えたりする時がある。



これは家電製品の不調を自慢(?)しているわけではない。

この「勝手に」が起こったのは今回が2度目で、前回はフルフィルメント瞑想の「金タラ」を集中的に行っていた時だった。



まあその時は特に何も関連づけようとは思わず、「なんかテレビ壊れたけど時間経ったら直ったわ」とだけ思っていた。



そして今回、先日貼り付けたハートチャクラに作用する音楽を連続的に聴いていたのだが、またテレビが壊れたのである。

そして30分ほど音楽を聴くのをやめてゴロゴロしてたら勝手に直った。



ここからは仮説である。

金タラはコーザル体を浄化する作用があり、ハートチャクラの音楽は恐らくエーテル体(チャクラがそもそもエーテル体以降にしか存在しないため)を浄化するものである。



この浄化というのも、例えばエーテル体を浄化したからといってすぐにこの五身体から消し飛んでしまうというわけではなさそうなのだ。

どうやら肉体の部分までそのエネルギーが浮上し、そこから時間経過などもろもろの要因で結果的にこの五身体から消えることになる。



その肉体に浮上したエネルギーが過剰になり、その過剰なエネルギーの波動が電化製品に作用して一時的に壊れ、時間経過とともに直った、と洞察している。



テレビが壊れただけでそんな短絡的な、と思われるかもしれないが、これはOSHOのカタルシスメソッドを見てもそうなのだ。

ダイナミック瞑想、クンダリーニ瞑想、ジベリッシュ、その全てにただ踊るだけのパートが用意されている。



私は、OSHOがよく「生は祝祭だから楽しみなさい」と言っているから、「ふーん弟子をそういう楽しい感じにさせたいからこういうパートを設けてるのね」くらいに思っていたが、どうやらそうでもなさそうなのである。

というのも、私はよくジベリッシュ(デタラメな言語を喋り発狂する)をしていたのだが、この瞑想の後は「うつ伏せで寝て瞑想するといい」という記述があるのだ。



で、私は面倒くさがりなのでジベリッシュの後にテレビゲームでもしていると、なんだか落ち着かないのである。

「うつ伏せで寝てぇ」とめっちゃ思い、めっちゃそうしたくなる(バカの構文)。



この「ジベリッシュ」も、「大声でわけのわからない言語を発声すれば身体からストレスが消えてそこで終わり」ではなく、半ば「身体に滞留する」時間があるようなのだ。



この「滞留エネルギー」を放電するためにダイナミック瞑想やクンダリーニ瞑想のダンスの時間が設けられていると推察している。



ボブ・フィックスの瞑想CDに「1日30分まで」などの記述があったりするのもこの滞留への配慮もあるのだろう。

普通に1日のうちで短時間カタルシスする分には何も気にする必要はない。

今日の記事は私のような頭のおかしなカタルシスマニアのための記事である。



意味不明な追記



これの6番目でも金タラとハートチャクラに作用する音楽と同じようにテレビが壊れる。

まあ私の独善的な結びつけなので信頼性は皆無であるが、これもエーテル体以降に作用しているのではないかと推察される。



また、私の肉体の胸のあたりに明確に知覚できるストレス因子があるのだが、それを解消する時にこれの

4つ目では表層を撫でるような感覚があり全ては取りきれない。

5つ目では全て取り切れる。

6つ目では今までは腹部に作用しているが故に胸のあたりには作用していないのかと思ったが、エーテル体の洞察を経験した結果、これがエーテル体に作用しているゆえに肉体面への効果が薄い、というのは肉体的感覚としても納得できる。




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