信者というのは常に極端にいる。
宗教の信者だけではない。
お笑い、スポーツ、ゲーム、それぞれ私の好きなものであるが、それぞれに信者がいる。
お笑いの劇場に通い詰め、自分の好きな芸人はかかさずチェックする。
こういう人と接点を持ってわかるのは、特定の芸人を「つまらない」と言えば彼らは激昂する。
野球ファン、サッカーファン。
野球場で他球団を煽っている人、暴徒と化すサッカーファンは何度も見たことがあるだろう。
特定のゲームが好きで他のゲームは認めない。
私は格闘ゲームが好きであるが、「スマブラ(スマッシュブラザーズ)が格ゲーであるかどうか」を顔を真っ赤にして揉めている人たちを見たことがある。
また、ゲームソフトのみならずハードの間でも熾烈な対立がある。
その趣味が好きである、というのは構わない。
「それが好きだ、嫌いだ」と表明するのも構わない。
が、「それが好きだ、嫌いだっていうのはおかしくないですか?」と他人のエリアに侵攻した途端にトラブルが発生する。
まあ今回の犯人はどうやら、『「とある団体」と安倍さんが関係していると「思い込んでいた」』だけなので、そこまで熱心な信者ではなさそうだ。
元総理を銃殺するほどの怒りを抱えていたにもかかわらず、とてもスピリチュアルなものの見方である。
メディアの信者も今回ばかりは少し違和感を感じているように見える。
医学、メディアへの信用が落ちた。
まさに腐り落ちるべきところがただ腐っていくだけだ。
恐らく次は流れ的に…政治だろう。
外側のことは何も信じられない状況の方が本来の私として生き始める可能性は高いのだ。
松葉杖をついていればいつまでもそれに頼って自分の足で歩く力を損なってしまう。
そろそろ私たちは自分の足で歩かなければならないのかもしれない。