「波動を上げると幸せになる」というスピリチュアルをよく聞く。



私もそれを信じていた。まあ特に何か実践したわけではないが、スピリチュアルを学ぶ者であれば必ず耳に入ってくるようなものなので、とりあえず鵜呑みにしたわけである。



が、私は大学中退のくせに納得するまでは解決しない根っからの探求者なので、この「波動」やら「引き寄せの法則」やらが本当なのかを一時期よく調べていた。

物理学の本とかをちゃんと読んだわけである。



この時に限っては高校の理系コースの生物クラス・物理クラスで生物クラスを選んだことを後悔した。

色々調べたが、スピリチュアルでよくいう「同じ波動のものは引き合う」とか「高めれば高めるほど豊かになる」的な性質は波動には見当たらなかったのである。



ネット上の記事を漁ると、「完全な勉強物理学」のページと、「半スピリチュアル半物理学かじり」のページがある。

「半スピリチュアル半物理学かじり」のページには「波動にはこんな性質アルヨ〜」と、「同じ波動のものは引き合う」などということが書かれているわけだが、しっかりした物理学のページを見るとそんなことは一行も見当たらなかったりするのだ。



「共鳴」という言葉もそうだ。



共鳴(きょうめい、resonance)とは、振動体が、その固有振動数に等しい外部振動の刺激を受けると、振幅が増大する現象[1]。たとえば、振動数の等しいふたつの音叉の一方を鳴らすと、他方も激しく鳴りはじめる、という現象[1]。(サンキューWikipedia)



これを「引き寄せの法則」だと言っている記事もあったりするが、これは「同じ振動数のものが同じように震える」というだけであって、「同じ振動数のものが引き寄せ合う」わけではない。



ただこれに関してはオカルト的ではあるが思い当たりがある。

「自分と似たような人」が、私が喜びを経験している時期は喜びを経験し、私が惨めな時期は惨めな経験をしている、というのを数多く見てきた。

まあかなりオカルトチックで個人的な観測の結果なのでここでは置いておこう。



しかしがっかりすることはない。

周波数という言葉で調べてみると、



周波数帯(周波数帯域とも呼ぶ)によって、電波の伝わり方と伝送できる情報量が違います。 一般的には下図のように、高い周波数であればあるほど、電波は直進しやすく、伝送できる情報量も大きくなります。 一方で、低い周波数であればあるほど電波は回り込みやすくなりますが、伝送できる情報量は小さくなります。(Google検索)



とある。

「高い周波数であればあるほど伝送できる情報量が多くなる」

こんなことに何のメリットがあるかって?

「神」の、「意識」の伝送できる情報量が多くなるのだ。



周波数が高ければ高いほど、神の意図に即した生が送れる。

ではそれが「絶対に豊かになること」かといえばそんなわけはない。



光明、悟りを得ても全裸で川岸で暮らしたディオゲネスや、機織りとして一生を終えたカビール、乞食として晩年を過ごした桃水らは、「周波数が高くなかった」のだろうか?



彼らを通して神が働いていたことは間違いない。が、それは金持ちになることでも有名になることでもなく、「本来の彼そのもの」として生きるというだけのことなのだ。



どうだ〜い?ワクワクしないだろぉ〜?(スギちゃん)



とはいえ彼らが惨めな生を送ったとも思えないわけである。

間違いなく彼ら自身として生き、喜びに溢れていたに違いない。



あと波動についてちょっと調べてた時に見つけたページ。





(オカルト)なんて付けられて可哀想なことになっているが、前に紹介したリチャード・ガーバーが出てきたり、彼の言っていることの一部が書いてある。



「引き寄せの法則」はオカルトかもしれないが、この「波動」に関しては私はかなり信用性が高いと思っている。



「バイブレーショナルメディスン」を読むまでは、風水とか(さっき桃水いたね)食べ物の着色料、添加物、歯磨き粉などに含まれる微量の金属による身体への害といったものは若干オカルトだと思っていた。



が、彼の理論や自分の経験を踏まえると、ありとあらゆるものが放つ微細なエネルギーが影響することは特別おかしなことではないと感じるようになった。



まあ考えてみれば放射能なんかは「明らかに害がある」というデータの蓄積があるだけで、「目に見えない波動」という面では全く同じなのだ。

政府の言う「直ちに影響がない」という面では放射能の方が安全なのかもしれない。



そんなフクシマズジョークはさておき、まああまり細かいことを気にしすぎる必要もないとも感じる。



探求を始めた最初の頃、私を導いてくれた覚者が「肉食を落としてみたらどうか?」と言っていたことがある。

これはOSHOも言っていることで、「動物が死の間際に放つエネルギーが肉体を重くさせる」のだそうだ。



波動の観点から見ても特別おかしなことはないだろう。

より肉体に摩擦、ストレスが蓄積され、神、意識、瞑想といったものが日常に噴出しにくくなるわけだ。



私は従順で真摯な探求者なので当然肉食を落としてみようとしたわけだが、日本国内でこれを実践するのはなかなかキツイのだ。

スーパーで食品の裏面を見ればありとあらゆるものに動物的なものが含まれている🐮。

可能な限りやってみたものの、私の肉体に関してはさほど成果は上がらなかったわけである🐷。



私の持論は、「やりたい範囲でやって、身体に溜め込まれた摩擦は吐き出せばいい」だ。

とは言っても吐き出せるものにも限度がある。

「歯磨き粉丸飲みしてもゲロ吐けばいい」というわけではない。

歯磨き粉を丸飲みしたり原発の燃料棒をかじったりする必要もないし、着色料の使われたハイチュウを一つも食べない、という必要もない。



私はハイチュウがなければ死んでしまうのだ。

特に食感が普通のものとは違う「カリじゅわハイチュウシリーズ」だ。

これを一粒食べるたびに霊的波動が10上がるので、皆さんにも是非お勧めしたい次第である。




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