論理的には、世の中には悪と善が半々存在することになる。
「善いことをしなさい」と親から、社会から教わって育つわけだが、我々は「悪いこと」もしなければならない。
正確にはしなければならないわけではないが、「全体の中で悪といわれている部分を担う必要がある人」というのが存在する。
しかも「ある特定の悪い人が存在するべき」ということではなく、常々流動的に変化し、ある時はいい人でなければならず、ある時は悪い人でなければならないというわけだ。
「意識」はこの善悪の両方どちらにも属さない。
しかし、結果として、周囲からの判断や思考、自分の判断や思考に「事後」裁かれるということは起こる。
が、その行為中、それが世の中でどう呼ばれることになるにせよ、そこに判断は存在しない。
その意識からやることはまさに全体の、宇宙の、神の意志であり、バランスを、スムーズさをもたらす。
今不自由の身に置かれて生きている人も大勢いるだろう。
そんな人は意識を、自分自身を頼りにして自由になっていただきたい。
ゴータマ・ブッダの最期の言葉はまさに「自灯明」、自分自身を蝋燭にしなさい、自分自身を灯りにしなさいという言葉だった。
私自身肉体的にも、家庭環境にも恵まれなかった。
いわゆる「毒親」というやつだろう。
であるからして、私みたいな人には肩入れしたくなるし自由になって欲しいのだ。
毒親については無明庵EOのページがとてもわかりやすい。
毒親以外にも数々のトピックについて鋭い洞察がなされているので、ここに毒親についてのログと、日常の雑感のログをまとめたページのリンクを貼っておく。
まあかなり賛否を受けそうな内容のことを書いている。
私自身も彼の「分割自我復元理論」のプロセスと「死人禅」の行法に関しては賛同しかねる。
「分割自我復元理論」に関しては彼自身が晩年「失敗だった」と認めている。
過去ログを漁ればその記事も出てくるだろう。
また彼の宇宙観というか、彼の真理に向かう基盤が、彼のチャネリング体験によるこの宇宙への絶望が元になっている。
まあ私は特に影響はなかったが、彼のホームページを見てものすごくネガティブになってしまった探求者を知っている。
ので、ホームページ自体は貼らないでおくことにする。
掲示板には日常への雑感が多数を占めているが、それだけでもためになるように思う。
なんて色々書きはしたが、私は彼の言う内容どうのこうのより彼の美しい文章が好きだ。
池田晶子なんかもそうだが、美しい文章というのはそれを読むだけでも快楽を感じるものだ。