瞑想を続けていくとこの存在、宇宙、森羅万象に対する信頼が湧いてくる。
見守る…
肉体や思考の動き、湧いてくる感情、周りに生きている人たち、自然
こういったものを見守っていると、いかなる「私」「エゴ」に関係なくそれらがただ起こっているという理解が湧いてくる。
すると自然に「ああ、私は何もせずとも生は進行していくし、それは宇宙の、自然の、ダルマの力によるものだ」という信頼が湧く。
必ず瞑想しなければならないかといえばそういうわけでもない。
道の一つに信頼そのものから入る手段がある。
どうするかといえば、ただ信頼するのだ。
「どうやって?」とここで疑問が湧いてくる人はこの道に向いていない。
どんな対象でもいいので信頼するのだ。
人格神(シヴァとかヴィシュヌとかイエスとか)、マスター(師)、自然…
OSHOはそこらへんに落ちてる「石」ですらいいといった。
例えば当時中国でもかなり頭が良かったらしい荘子の例がある。
恐らく彼は頭でっかちであっただろうが、師である老子を信頼した。
何をしたか?といえばずっと一緒にいただけだ。
ご飯を作ったり、掃除したり、座ったり、ただ老子のいうことを聞いた。
年数にすれば30年近くだ。
ただ黙って信頼した人間の言うことを聞き、明け渡し続ける。
そうすればエゴ、私というのは持ち堪えられずに崩れていく。
荘子の他には女性のダヤとサハジョも挙げられる。
同一の男のマスター(名前忘れた、なんかかっこいい名前だった記憶)の元に従事し、2人とも悟りを得た。
それぞれOSHOの本の「ラスト・モーニング・スター(ダヤ)」「シャワリング・ウィズアウト・クラウズ(サハジョ)」で語られている。
彼女たちの残した詩句のようなものについてOSHOが語る構図なのだが、信頼の道を辿った人の言葉というのはとても美しい。
ゴータマ・ブッダにはない美しさがあるので私はとても好きだ。
OSHOの好きな本ランキングでベスト5に入る。
ランキング発表して終わりにしたい。
1位 ゴールデン・チャイルドフッド(OSHOの子供時代の伝記的講和)
2位 存在の詩(チベットのティロパからナロパに向けて語られたもの)
3位 TAO 永遠の大河(老子の道徳経)
4位 ダイヤモンド・スートラ(ブッダの金剛般若経)
5位 これ、これ、千回もこれ(禅)